8:22 フランクフルト → 10:16 アイゼナッハ
ライプツィッヒ → ケーテン → ワイマール とバッハの生涯を逆にたどる『バッハ街道の旅』も、いよいよ生誕の地アイゼナッハまでやって来た。
しかし、この街で僕が最も憧れていたのは、ワグナーのオペラ《タンホイザー》の舞台となったワルトブルク城。
アイゼナッハの少し手前から、右手の山にワルトブルク城が見えてくる。
アイゼナッハ駅前からワルトブルク城行きのバスは1時間に1本しか無いので、タクシーでワルトブルク城に向かう(12マルク・600円)。
バスがたくさん停まっている駐車場の入り口で下ろされて、そこから坂道と階段を上ること10分くらい。
途中から見晴らしが良くなり、チューリンゲンの森とアイゼナッハの街が眼下に広がる。
 |
 |
駐車場 |
チューリンゲンの森とアイゼナッハの街 |
 |
 |
ワルトブルク城 |
中庭・ツアーを待つ人々 |
混雑を覚悟していたが、ガイドツアー(ドイツ語)は10分待ちで、すぐ城内に入ることが出来た。
僕の興味は《タンホイザー》だったんだが、ワルトブルク城のガイドツアーの半分くらいは聖エリーザベトに関するものだった。

入口を入ると ↑
豪華なモザイクの「エリーザベトの間」 → |
 |
聖エリーザベトは1207年にハンガリーに生まれたが、彼女の誕生は魔術師クリングゾール(歌合戦の伝説に出てくる)に予言されていたそうだ。
彼女は4歳でヘルマン1世の長男ヘルマンの許婚としてワルトブルク城にやって来た。
しかし、9歳のとき許婚ヘルマンは死んでしまった。
その後14歳で、弟のルードウィッヒ4世と結婚し、ヘルマン、ソフィー、ゲルトルートの3人の子供をもうけた。
彼女はワルトブルク城下に救貧院を設けたが、貧しい人々に城で残った食物を与えたことは宮廷で強い反感を買った。
1227年、夫は第5回十字軍に参加の途中、病死した。
1年後、義弟ハインリッヒ・ラスペ4世と折り合いが悪くなった彼女はマールブルクに移った。
1231年、聖エリーザベトは24歳でフランシスコ会修道女として死亡したが、彼女はキリスト教的人類愛のシンボルとなり、1235年聖人の列に加えられた。
彼女はオペラ《タンホイザー》にはタンホイザーの恋人として出てくるし、リストはオラトリオ《聖エリーザベト聖譚》を作曲した。
|