聖エリーザベトの回廊を抜けると、いよいよお目当ての《タンホイザー》の世界だ。
ワルトブルク城では1207年に城主ヘルマン1世によって歌合戦が催され、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(彼の叙事詩『パルチヴァール』はチューリンゲンの宮廷で創作された)、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルワイデなど6人のミネゼンガー(宮廷恋愛歌人)が歌を競い合った。
この伝説を基に、19世紀の大作曲家ワグナーはオペラ《タンホイザー》を作曲した。
まずは『歌合戦の部屋』。
それほど広い部屋ではないが、壁には歌合戦の様子が描かれたフレスコ画がかけられている。
歌合戦に出る歌手の「控えの間」という印象であろうか。
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歌合戦の部屋 |
祝宴の広間 |
そしてガイドツアーの最後は『祝宴の広間』。
この大きなホールが《タンホイザー》の歌合戦の舞台となったのだ。
バック・グラウンド・ミュージックで《タンホイザー》の『大行進曲』(歌合戦への入場の場面)が流されていた
(^_^) 。
オペラの題材となったヘルマン1世の時代にも3階には大きな広間があったが、この広間が現在の姿になったのは19世紀のことで、リストが音響効果のためこの形を推薦したそうだ。
リストはこの広間で自作のオラトリオ《聖エリーザベト聖譚》を指揮した。
ここでガイドツアーは解散し、『ルターの部屋』へ向かう細い回廊を通ると。
窓からはチューリンゲンの森を背景にしたワルトブルク城が見える。
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『ルターの部屋』へ向かう回廊 |
廊下の窓から |
ヴォルムスの議会でカール5世から帝国追放を宣言されたルターは、1521年5月4日にチューリンゲンの森で誘拐された。
これはルターの支持者であったザクセン王によるもので、ルターはワルトブルク城のこの部屋に住まい、10ヶ月をかけて新約聖書をドイツ語に翻訳した。
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ルターの部屋・内部 |
ルターの部屋・外から |
ワルトブルク城の保存には、ワイマールの大臣であったゲーテも大きな貢献をしている。
『この一つのお城に、何と多くのドイツの歴史が込められているのであろうか』と、ただただ驚くばかりだ。
見学後、駐車場まで戻りバスを待ったが、バスは1時間に1本。
無駄に時間を過ごしてしまった。
これから行かれる方へのアドバイスとして、ワルトブルク城の隣にはホテルがあるので、このホテルからタクシーを呼べば良いのではなかろうか?
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