ルートヴィヒ紀行(11) 2001年5月2日(水)
ヘレン・キームゼー城

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 ルートヴィヒ二世は生涯に3つの城を建てました。
 ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、ヘレン・キームゼー城です。
 僕はノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城には行ったことがあり、いよいよ最後のヘレン・キームゼー城を訪れます。
 ルートヴィヒはこの他にも、ファルケンシュタイン城と中国風の宮殿の建設を計画していたそうです。

 ミュンヘン発 7:41、ザルツブルク行きのIRに乗車。
 8:38、プリーン・アム・キームゼーに到着。
 バスは1時間に一本、SL(キームゼー・バーン)はお手入れ中、ということでタクシーで遊覧船乗り場へ。
 所要時間5分くらいでしょうか。
 キームゼー遊覧船乗り場の目の前に見えているのがヘレン島(男島)で、大きな島です。
 遊覧船乗り場から左に歩けば、森を切り開いた庭園越しにお城が見えるはずです。
遊覧船乗り場 本日も快晴

 遊覧船に乗って15分くらいで、ヘレン島の船着き場に着きます。
 目の前にフラウエン島(女島)が見えます。
 お城までは徒歩15分。
 馬車もありました。

正面ですが、逆光で見にくい 絵葉書だと、位置が分かりやすいでしょう


 ルートヴィヒは自分と同じ名前であるルイ14世に心酔しており、ヴェルサイユ宮殿と同じ宮殿をこの島に建てようとしたわけです。
 内部は一言で言って豪華絢爛。
 実に無駄遣いをしたもので、これでは廃位されても致し方ないでしょうか。
 ガイドツアーは約30分。
 隣にある『ルートヴィヒ二世記念館』の展示は充実したものでしたが、解説がドイツ語だったので、よく分かりませんでした (^_^;。

 ヘレン・キームゼー城を『無駄遣い』と書きましたが、今では立派な観光資源となっており、訪れる人は多かった。
 前方から小学校の遠足でしょうか、数十人の子供の集団がやってきたんですが、一斉に『コンニチハ!』と挨拶されたのにはズッコケました (@o@) 。
 世界の挨拶の授業でもあったのでしょうか (^_^) ?

 船着き場からプリーン駅への帰りは交通手段が無く、歩くことになりました。
 30分以上かかったでしょうか。
 夏場の出番を待つキームゼー・バーン(写真右 → )は、点検の最中でした。

 時間があればザルツブルグに足を延ばしたかったのですが、これで諦めまして、ミュンヘンに戻り、2時からのバイエルン国立歌劇場・ガイドツアーに参加することにしました。

◇バイエルン国立歌劇場・ガイドツアー

 バイエルン国立歌劇場にはルートヴィヒ二世が独りで観劇した部屋もあるそうで、このガイドツアーは見逃すことが出来ません。
 ガイドツアーの集合場所はチケット売り場の奥。
 そこには掲示がありまして、何と!5月2日、3日はガイドツアーはお休みなんだそうです (@o@) 。
 僕は4日の朝に帰国予定なので、どうあがいても、ルートヴィヒ二世が観劇した部屋を見ることが出来ないではありませんか!
 それ以後は毎日ガイドツアーがあるらしいんですが。

 これにはさすがにガックリ来まして、ホテルに戻り、西村京太郎『飛騨高山に消えた女』を読みながら (^_^;、オペラの開始を待ちました。

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