ウィーン紀行(37) 04.1.2(金)
ハイリゲンクロイツ  マリー・ヴェッツェラの墓

前へ  ホームページ  ウィーンの目次  次へ
 

◇ ハイリゲンクロイツ教会

 マイヤーリンクからハイリゲンクロイツに戻りまして、次に目指すはマリー・ヴェッツェラの墓です。
 タクシーの運転手は「ヴェッツェラ」ではなく、「ヴェッチェラ」と言っていました。

 ハイリゲンクロイツ教会は有名な観光施設となっており、多くのバスが停まっていました。
 作曲家アントン・ブルックナーはこの教会のオルガンを好み、よくこの教会を訪れました。
 彼はルドルフ皇太子の死を、この教会で聞いたそうです。

ハイリゲンクロイツ教会 中庭から


◇ マリー・ヴェッツェラの墓

 ハイリゲンクロイツ教会からメードリンク方向に少し戻り、左手の坂道に入ります。
 雪の積もった狭い道をタクシーは滑りながら登ります。
 やがて、右手にハイリゲンクロイツ教会の小さな墓地が見えてきました。
 この墓地にマリー・ヴェッツェラの墓があるのです。

墓地の入り口 門からの眺め
左手に進むと マリーのお墓が見えてくる
マリー・ヴェッツェラの墓 マリー・ヴェッツェラの墓


 マリーの遺体は1889年1月31日(事件の翌日)の晩、服を着せて馬車に乗せられました。
 遺体は箒で固定され、死体と気づかれないよう細心の注意が払われました。
 そしてマリーの遺体はこの坂道を上り、人目に付かないようこの墓に葬られたのです。
 1945年4月にマリーの墓は高価な装飾品を物色しようとするソ連兵に暴かれ、1959年7月に新しいブリキの棺に移され、改葬されたそうです。

 しかし、マリーの遺体は今、この墓にあるのでしょうか?

 1997年12月、「うたかたの恋と墓泥棒」(ゲオルク・マルクス)という驚くべき本が出版されました。
 1992年12月1日、クローネン新聞の記者ゲオルク・マルクスは「マリー・ヴェッツェラの骨を持っている」と言う男フラッツェルシュタイナーの訪問を受けました。
 12月21日のクローネン新聞に「マリー・ヴェッツェラ、墓から盗まれる」という記事が掲載されました。
 翌22日にハイリゲンクロイツ墓地の墓が開けられ、遺体がないことが確認されました。
 その後、フラッツェルシュタイナー自身が犯人だということが判明しました。
 マリーの死体が盗み出されたのは1991年7月8日の夜だったそうです。

 この本をテーマとしたTV番組「世界ふしぎ発見!」で、マリーのしゃれこうべが出てきたのには心底仰天しました。
 「これがマリーです。頭の左側に銃で撃たれた穴があるでしょう?」ってね。
 その後、遺体は墓に戻されたのでしょうか?
 

前へ  ホームページ  ウィーンの目次  次へ