プラハ紀行(8) 2004.5.3(月)
スメタナ博物館 →
ビラ・ホラ

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 スメタナ博物館

 スメタナ博物館はカレル橋近く、モルダウ川に面し、窓から有名なプラハ城を望める絶好の場所にありました。
 信頼する ひのまどかさん の『作曲家の物語シリーズ/スメタナ』(リブリオ出版)によれば、この建物は1884年にプラハ水道局として造られたもので、1927年にスメタナを記念する博物館になったそうです。
 この博物館にはスメタナの自筆譜、書簡、ピアノ、生涯にわたる記録など、スメタナに関するすべてのものが展示されています。

 博物館前はカフェになっていて、観光写真そのままのモルダウ川、カレル橋とプラハ城の眺めが美しい。
 しかし2002年のヨーロッパ異常気象によるモルダウ川の氾濫では、博物館の1階は天井近くまで水につかってしまったそうです。

 
博物館前のスメタナ像 プラハ城とスメタナ像
モルダウ川 と カレル橋 と プラハ城 博物館の内部


 スメタナ博物館の前の通りを、「ビラ・ホラ」行きの電車が走っていました。
 「ビラ・ホラ」といえば、「プラハ窓外放擲事件」(1618年5月23日)に端を発する「30年戦争」の有名な戦場ではありませんか。
 「ビラ・ホラ」がどこにあるのか、一度行ってみたいと思っていたので、さっそく電車に乗り込みました。
 
 1620年11月8日、ビラ・ホラ(白山)で神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世軍と戦った新教徒のボヘミア軍は、死者4000人という大敗北を喫し、首都プラハはハプスブルク帝国軍に占領されてしまいました。
 反乱の指導者である27名のボヘミア貴族が旧市街広場で処刑されました。
 ボヘミアはカトリックをふたたび強要されるとともに、ハプスブルク家の支配するところとなりました。

 電車はプラハ城をぐるっと回って、高台へ登っていきます。
 ビラ・ホラまでの所要時間は30分くらいだったでしょうか。
 別になんと言うことはないプラハ郊外でしたが、「けっこうプラハの近くで戦いが行われたのだ」と実感することが出来ました。
 
ビラ・ホラの街並み 電車の標識

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