プラハ紀行(10) 2004.5.3(月)
国民劇場 ヴェルディ『レクイエム』

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◇ 国民劇場 ヴェルディ『レクイエム』

 4時開演の「クレメンティヌム」に続きまして、7時開演の国民劇場です。
 国民劇場もヴァルタヴァ川のほとりに建っており、写真の如く、ウィーンのオペラ座に似た外観を持つ劇場です。

 ハプスブルク家によるドイツ語支配がされていた18世紀後半に、チェコではパラツキーらによる「民俗復興運動」が起こりました。
 スメタナやドヴォルザークもこの運動の重要な担い手でした。
 そして、「チェコ語によるチェコ人の舞台を」というスローガンのもと、国民劇場は1881年に完成しました。

カレル橋から ウィーン国立歌劇場に似た外観


 1881年6月11日のこけら落としはスメタナのオペラ《リブシェ》の初演で、これは圧倒的な成功を収めました。
 しかし、その2ヶ月後の8月12日に、屋根の工事の不始末による火災のために、国民劇場は全焼してしまいました。

 その焼け跡の中からチェコ人は再び立ち上がり、1883年11月15日に、再びスメタナの《リブシェ》でこけら落としが行われました。
 「リブシェ」は、「プラハの街を予見し、その繁栄を予言した」とされる伝説上の女性で、チェコ人のための劇場のこけら落としには最適の演目だったわけです。

 既に精神錯乱症状が悪化していたスメタナですが、この上演に出席し、人生最後の喜びを得ることが出来ました。
 スメタナは翌年1884年5月12日に、プラハの精神病院でその生涯を終えました。

 劇場の内部はまばゆいばかりの金色に輝く黄金のホールで、その豪華さには驚きました。
 「国民劇場」という名前からコンサートホールかと推測していましたが、この劇場はオケピットを持つ、本格的なオペラハウスでした。

金色に輝く華麗なホール ロジェ席
立ち見席まで金色 シャンデリア


 19時開演。
 演目はヴェルディの『レクイエム(鎮魂曲)』でしたが、オーケストラはピットに入っています。
 この曲はオペラではなく、コンサートで演奏される曲なので不思議でした。
 指揮者は我が国でも有名なイルジー・コウト。
 彼はチェコ人なんですね。

 曲が始まると幕が上がりまして、黒い服を着たコーラスが並んでいます。
 彼らは楽譜を持たず、舞台上を移動し、オペラに近い上演形態を目指しているようです。
 ソリストにはスポットライトが当たり、全員が舞台後方に移動すると突然火柱が立ち上がったりします (@o@) 。
 コーラスの数人が空中に吊り上げられたり、動きのないコンサートよりは面白かったですね。

 しかし『レクイエム』にストーリーがあるわけではなく、大体手の内が見えたところで途中退場。
 次なるスメタナホールに移動します。

 劇場のレベルとしては、オケとコーラスにずれがあったりして、年末のハンガリー国立歌劇場の方が上かと思いました。
  

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