プラハ紀行(12) 2004.5.4(火)
カレル橋

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◇ カレル橋

 あっという間にプラハ観光最後の日になってしまいました。
 何せ2日しかないんですから忙しいんです (^_^ゞ。
 まずは早朝のカレル橋から。

 1346年、神聖ローマ帝国皇帝となったカレル4世は、神聖ローマ帝国の首都をプラハに移し、プラハ大司教座、カレル大学、聖ヴィート大聖堂などを建設しました。
 有名なカレル橋は、1357年から60年近くの年月をかけて完成したということです。

 1620年11月8日、ビラ・ホラ(白山)で神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世軍と戦った新教徒のボヘミア軍は大敗北を喫し、首都プラハはハプスブルク帝国軍に占領されてしまいました。
 26人のプロテスタント指導者が旧市街広場で処刑され、そのうちの12名の首がカレル橋の旧市街塔に晒されたということです。

カレル橋の旧市街塔 カレル橋の旧市街塔


 ビラ・ホラの戦いの結果、ボヘミアはカトリックをふたたび強要されることになりました。
 カトリックによる反宗教改革を推し進めたのがイエズス会でした。
 彼らはカレル橋に次々とカトリックの聖人像を設置し、現在では30の聖人像が建っています。

 旧市街側から左側の5番目が「聖フランシスコ・ザヴィエル像」です。
 ザヴィエルを支えてるいる一人が、ちょんまげをした日本人です。

聖フランシスコ・ザヴィエル像 ちょんまげをした日本人


 旧市街側から8番目の右側がボヘミアの守護聖人「聖ネポムク像」で、台座に触ると御利益があるらしく、ピカピカに光っていました。
 ネポムクはカレル4世の息子ヴァーツラフ4世によって殺害され、カレル橋からヴァルタヴァ川に投げ込まれたそうで、五つ星と棕櫚の枝がシンボルとなっています。

ボヘミアの守護聖人「聖ネポムク像」 台座はピカピカ


 橋からはプラハの街が綺麗に見渡せます。
 ヴァルタヴァ川の上流にはルドルフィーヌム、川下には国民劇場が見えていました。
 カレル橋を渡り、次に目指すのはプラハ城です。

上流にルドルフィーヌム 川下に国民劇場
カレル橋とプラハ城 プラハ城を目指します

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