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◇ カレル橋 あっという間にプラハ観光最後の日になってしまいました。 何せ2日しかないんですから忙しいんです (^_^ゞ。 まずは早朝のカレル橋から。 1346年、神聖ローマ帝国皇帝となったカレル4世は、神聖ローマ帝国の首都をプラハに移し、プラハ大司教座、カレル大学、聖ヴィート大聖堂などを建設しました。 有名なカレル橋は、1357年から60年近くの年月をかけて完成したということです。 1620年11月8日、ビラ・ホラ(白山)で神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世軍と戦った新教徒のボヘミア軍は大敗北を喫し、首都プラハはハプスブルク帝国軍に占領されてしまいました。 26人のプロテスタント指導者が旧市街広場で処刑され、そのうちの12名の首がカレル橋の旧市街塔に晒されたということです。
ビラ・ホラの戦いの結果、ボヘミアはカトリックをふたたび強要されることになりました。 カトリックによる反宗教改革を推し進めたのがイエズス会でした。 彼らはカレル橋に次々とカトリックの聖人像を設置し、現在では30の聖人像が建っています。 旧市街側から左側の5番目が「聖フランシスコ・ザヴィエル像」です。 ザヴィエルを支えてるいる一人が、ちょんまげをした日本人です。
旧市街側から8番目の右側がボヘミアの守護聖人「聖ネポムク像」で、台座に触ると御利益があるらしく、ピカピカに光っていました。 ネポムクはカレル4世の息子ヴァーツラフ4世によって殺害され、カレル橋からヴァルタヴァ川に投げ込まれたそうで、五つ星と棕櫚の枝がシンボルとなっています。
橋からはプラハの街が綺麗に見渡せます。 ヴァルタヴァ川の上流にはルドルフィーヌム、川下には国民劇場が見えていました。 カレル橋を渡り、次に目指すのはプラハ城です。
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