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「リスト博物館」は、ヴァーンフリート館のすぐそばにあった。 1886年7月21日、リストは娘のコジマと前の夫ハンス・フォン・ビューローとの間に生まれた孫娘ダニエラの結婚式に参列するため、バイロイトにやって来た。 コジマは第五回の音楽祭を間近に控えて多忙を極め、リストはヴァーンフリート館すぐそばの山林官フレーリッヒ家に滞在することになった。 リストは7月23日に《パルジファル》 、25日に《トリスタンとイゾルデ》を観劇したが、風邪をこじらせて肺炎となり、7月31日に死亡した。 享年74歳。 そのリストが死亡したフレーリッヒ家が「リスト博物館」となっている。 11時55分に入館したところ、あと5分で昼休みだからということで、受付のおばさんが学生料金に割引してくれた (^_^) 。
バイロイトの市庁舎は、現代的な建物だった。 ドイツでは歴史を感じさせる市庁舎が多い中で、これは珍しいと思った。 その1階にあるインフォーメーションで、リストとワーグナー一族の墓について、お姉さんに質問。 「墓は市立墓地の真ん中にある。市立墓地は小さいのですぐ分かる」という返事がその場しのぎのものだったことはすぐに判明する (^_^;。
ここで彼らの墓の探し方を詳しく説明しておこう。 この入口を入ったら、メインストリートをひたすら真っ直ぐ、道なりに歩く。 かなり歩いたところで、ワーグナー家の墓の場所を示す掲示がある。 ここで右に入ると、そこにワーグナー一族の墓がある。 墓石に書かれている名前は、ジークフリートとその妻ヴィニフレート、ヴィーラントとその妻ゲルトルート。 後ろに大きな木が立っているので、遠くからの目印になるだろう。
メインストリートに戻り、なおもまっすぐ行くと、墓地も終わりに近い場所に小さなお堂があり、そこがリストの墓だ。 僕はタクシーで行ったが、街から歩くと逆にこちらが入口となり、リストの墓は入ってすぐ、右側になるはず。
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