ニュルンベルク・ミュンヘン紀行  2006年5月6日 (土)
(20)
薔薇島 (フェルダフィンク)

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 12時近くなったので船着き場に戻ると、先ほどの集団はいなくなっていた。
 やがて船がやって来て、いよいよ薔薇島へ出発だ。

やがて船がやって来て いよいよ乗船
船着き場から見た薔薇島 船 内
子供の集団も一緒 いよいよ上陸


 現地で入手した資料によれば(訳に自信がないので、間違いに気付いた人はチェックして下さい)、この島がバイエルン王家のものとなったのは1850年10月8日。
 マキシミリアン2世(ルートヴィヒ2世の父)はポンペイ様式の小さな城を建てた。

 ルートヴィヒ2世(1845〜1886)の時代に、薔薇島は全盛期を迎えた。
 彼は蒸気船「トリスタン号」に乗り、たびたびこの島を訪れた。

 彼は父であるマキシミリアン2世の急死を受け、1864年3月11日に18歳で王位についた。
 彼はその年夏に訪れたバート・キッシンゲンで、久しぶりに会った従姉妹であるオーストリア后妃エリザベートに夢中になり、2〜3日滞在の予定が1月にも延びてしまった。

 その後もエリザベートはしばしばポッセンホーフェンの実家やフェルダフィンクのホテルに滞在し、ルートヴィヒと薔薇島での逢い引き(と言うのか、良い言葉が見つからなくて苦しい (^_^ゞ)を続けた。

 互いを山上に住む「鷲」と自由に憧れる「鳩」と呼ぶ手紙のやりとりは、ベルクにおけるルートヴィヒの溺死まで続けられた。
 この事件の時エリザベートはフェルダフィンクにやって来て、薔薇島の机の上には彼女からの手紙が置かれていたということだ。

 現在の建物は1998年の再建であり、「薔薇島(ローゼンインゼル)150周年記念」として、2003年6月に一般公開された。

建物(カジノ) カッサ


 薔薇島は小さな島で、10分もあれば一周できてしまう。
 メインとなる建物はカジノだが結婚式で入れないし、1998年の再建では入っても仕方がない。
 庭園の薔薇は、まだ咲いていなかった。

カジノでは結婚式

新郎 & 新婦 パーティ会場


 ということで、あっという間に薔薇島観光が終わってしまった。
 結論として、薔薇島は交通不便な場所にあり、あまり無理をして来ても、特に見るべき所はないということだ。
 しかし、それを確認するためにわざわざ来なくてはならないのが、僕の辛いところだ (^_^ゞ。

 下の船着き場からの写真を見ていただければ、フェルダフィンク&ポッセンホーフェンという后妃エリザベートゆかりの地の位置関係がよく分かるだろう。

フェルダフィンク ↑  と  ポッセンホーフェン ↑

船着き場 と フェルダフィンクの街 ↑ 帰りの船
 
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