ニュルンベルク・ミュンヘン紀行  2006年5月6日 (土)
(21)
フェルダフィンク(2) ホテル・カイザリン・エリーザベト

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 ということで、薔薇島はあまりお薦めできないのだが、それでも薔薇島に行ってみたいというエリザベート&ルートヴィヒのファンは(僕のように)いるだろう。
 そういう人のお役に立てるのが下の地図だ。
 


 薔薇島への船着き場から湖岸を北へ進み、先ほどの「STRANDBAD FELDAFING」というレストランの前を通って、「パーキング」を抜けたところで左へ曲がる。
 その道を行くと「RATHAUS」という赤い字が見えるだろう。
 ここに「ホテル・カイザリン・エリーザベト」がある。
 そのまま真っ直ぐ進めば、道は曲がりながら「S」マークのSバーンステーションにたどり着く。
 では、実際に歩いてみよう。
 
STRANDBAD のパーキング 新郎新婦の車を発見!
左に曲がって上り道 右はポッセンホーフェン方向


 このあたりから、急に雨が降ってきた。
 急ぎながら坂道を上っていくと、目の前に「ホテル・カイザリン・エリーザベト」が突然現れた。
 ホテルの前には「 Kaiserin - Elisabeth - Weg 」という小道があって、薔薇島への近道となっているようだ。

ホテルの看板 Hotel - Kaiserin - Elisabeth
Kaiserin - Elisabeth - Weg 玄 関


 フロントの女性に「シシーの部屋はどこか?」と聞くと、「2階だが使用中である」との返事。
 これはある程度覚悟の上。
 「シシーの部屋の写真が見たい」と頼んだら、ホテルのパンフレットをくれた。
 パンフレットの表紙に「GOLF HOTEL」と書かれているのが、何だか悲しい。

玄 関 シシーの部屋


 雨宿りを兼ねて、シュトゥーベでコーヒーブレイク。
 シシーやルートヴィヒ2世の写真が貼られた、由緒ありそうな部屋であった。

 ここで、僕はウェイターのお兄さんから面白い本を薦められた。
 「Menus der Kaiserin Elizabeth」という題名で、彼女がこのホテルで食べた食事のメニューとレシピが書かれているという。
 この本はここでしか手に入らないわけで、喜んで買ってしまったが、重かった (^_^;。

 最初に書かれている食事は1886年6月4日。
 内容はアスパラガスのスープ、ローストビーフ、その他。

 ルートヴィヒ2世が溺死した1886年6月13日のメニューも書かれていた。

シュトゥーベ コーヒー
Menus der Kaiserin Elizabeth 1886年6月4日のメニュー


 彼女は1870年からこのホテル(HOTEL STRAUCH)を夏に24回以上訪れ、3〜4週間滞在した。
 ルートヴィヒ2世とは、特に1870年から1885年にかけて、ホテルや薔薇島で深夜まで会った。

 1886年6月13日、ルートヴィヒ2世逮捕の知らせを受け、エリザベートはバート・イシュルからやって来た。
 当然の事ながら、近くで様子を知りたい、出来れば助け出したい、との気持ちだったろう。

 6月14日早朝7時30分、ルートヴィヒ2世溺死のニュースが電報で届けられた。
 「Menus der Kaiserin Elizabeth」によれば、彼女は直ちに馬車でベルク城に向かった。
 王の遺体と対面した彼女は‥‥

 この辺はいろいろな本にいろいろなことが書いてあって、僕には調べようもない。

 彼女がこのホテルに最後に滞在したのは1894年で、彼女がジュネーブで刺殺されたのは1898年9月10日。



 もう一度「ホテル・カイザリン・エリーザベト」を振り返る。
 彼女が滞在した部屋は2階の手前、停まっている車の上の部屋だそうだ。

 この部屋からはシュタルンベルク湖が美しく見渡せ、晴れた日には対岸のベルク城も見えたことだろう。
 本当は自分の目で確認したかったがやむを得ない。
 となり街のポッセンホーフェンからベルク城が見えることは2001年に確認してある

激しい雨の中を駅へ向かう やっと駅が見えてきた
Sバーン・フェルダフィンク駅 まあ、廃墟ですね
プラットフォーム びしょ濡れの服 オペラまでに乾くか?
 
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