前へ ホームページへ 紀行目次へ 次へ |
これでジュネーブ観光が終わってしまいました。 ジュネーブは観光的にはあまり面白い街ではありません。 午後はモントルー近郊テリテにあるエリザベートの石像まで遠征することにしました。 記者の切符を買うにはまず番号札を取り、順番を待ちます。 プラットホームにはパンくずを投げているおばさんが居て、雀が寄って来ていました。
レマン湖北岸を走る列車からはローザンヌの辺りから、曇り空ながらも遠くモンブラン山塊を見ることが出来ました。 チャップリンで有名なヴィヴェイ(車内放送ではヴヴェ)の辺りからアルプスの険しい山が湖に迫り、素晴らしい景色になってきました。 この日は天候が悪く、すっきりとした山を見ることが出来なかったのは、返す返すも残念でした。
さて、モントルーから有名なシオン城まで足を伸ばし、歩いてテリテからモントルーに戻って来るという作戦を立てました。 観光案内所が見つからなかったので、駅の壁にあったモントルー周辺の地図を載せておきます。 僕はこのモントルーからテリテ経由シオン城までの地図が欲しくて苦労したんですが、これから同じ旅をする方のお役に立つと思います。 シオン城までタクシーだと4〜5千円かかりそうなので、バスで行くことにしましたが、自動販売機の表示がフランス語なので何ともなりません。 そこへ通りかかったおばあさんにお願いしたところ、快く僕のためにチケット(250円)を買ってくれました。 本当に天使のようなおばあさんでした (^_^) 。 しかし、これからもチケットには悩まされることになります。
僕は別にシオン城に興味はなく、テリテのついでに寄ったようなものでしたが、このお城はさすがに世界的に有名なだけのことはある、魅力的な古城でした。 湖の上に建つ古城には、大広間や教会、食堂など、多くの部屋が古いまま大切に残されています。 そして、窓から見るレマン湖やアルプスの景色がまたまた素晴らしい。
ネットを検索していたら、現地でもらったリーフレットそのものがアップされていました (@o@)。 詳細はこのリーフレットをお読み下さい。 バイロンがその詩『シオンの囚人』に読んだジュネーブのサン・ヴィクトル小修道院長ボニヴァールの牢獄はNo.7。 ジュネーブ独立運動で囚われの身となったボニヴァールは、ここの柱に4年間、鎖で繋がれていました。 バイロンの詩によれば、ボニヴァールの二人の弟はこの牢獄で死亡したそうです。 他にも多くの罪人とされた人々がこの牢獄で命を落としました。
テリテまでレマン湖岸の道を戻ります。 この道から見る、アルプスを背景とするシオン城はポスターや絵葉書になっています。 アルプスを背景とするシオン城の写真があまりに美しいので、僕はパソコンのマウスパッドを買ってしまいました。 この日は曇りだったので、ここでは絵葉書を載せておきましょう。 |