ザルツブルク紀行 2007 10) 聖セバスチャン墓地 コンスタンツェの墓 07年8月14日(火) モーツァルト紀行(3) |
新市街にある聖セバスチャン教会は、モーツァルトの妻コンスタンツェの墓がある教会であり、お墓好きの僕としては、見逃す事が出来ません。 聖セバスチャン教会は人通りの多いリンツァーガッセに面して建っていました。
墓地への入口は教会の右側にありまして、入口に近いコンスタンツェの墓の前ではグループツアーの人々が長い説明を受けていました。
モーツァルトは1791年1月27日に35歳で死亡しました。 この時コンスタンツェは28歳でしょうか。 コンスタンツェは1809年にデンマークの外交官であるゲオルク・フォン・ニッセンと再婚しました。 1821年に夫妻はザルツブルクへ引っ越し、1826年にニッセンが逝去。 コンスタンツェは1842年に80歳で死亡しました。 木之下晃さんの『永遠のサウンド・オブ・ミュージック』を含むどの本にも、コンスタンツェとニッセンは同じ墓に埋葬されていると書かれています。 しかし、聖セバスチャン墓地で、僕はゲオルク・フォン・ニッセンの名前を見つける事が出来ませんでした。 中央にあるの大きい墓がコンスタンツェの墓です。 共同墓地に投げ捨てられた夫アマデウス・モーツァルトとは大変な違いです。 墓の表面には次のように書かれています。 コンスタンティア フォン ニッセン モーツァルトの未亡人 旧姓ウェーバー 1763年1月6日 Froyburg生まれ 1842年3月6日死亡 右側のプレート、上はモーツァルトの父親であるレオポルド・モーツァルト。 下はEUPHROSINA PERTL。 この人はザンクト・ギルゲンに関係があり、1755年に死亡しているらしい。 モーツァルトの母親の旧姓はアンナ・マリーア・ペルトル( 1720年 ザンクト・ギルゲン生まれ)なので、EUPHROSINAはモーツァルトの母親の母親のようです。 左のプレート、上は JEANNETTE BERCHTHOLD von SONNENBURG。 この人は1789年にザンクト・ギルゲンに生まれ、1805年9月に死亡していて、ナンネルの長女だそうです。 下は GENOVEFA WEBER。 1764年1月生まれで、1795年3月死亡。 『永遠のサウンド・オブ・ミュージック』によれば、この人はコンスタンツェの叔母で、なんと! 作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの母親なんだそうです。 不思議な組み合わせのお墓ですね (^_^; 。 どうもモーツァルト家のお墓はコンスタンツェに乗っ取られたようで、憤慨したナンネルは同じ墓に入らず、ケーブルカー乗り場に近い別のお墓に入っているそうです。 |