前へ ホームページへ 北欧紀行目次へ 次へ |
まずアイノラの見取り図を出しておきましょう。
パーキングから入った⑤がチケットオフィスです。 パンフレットに貼ったワッペンは本来は襟に付けるものですが、肩掛けカバンですぐに取れてしまいます (^_^ゞ。 今回の北欧旅行では、このようにチケットがワッペンの施設が多かったです。
見取り図の①がシベリウスの家です。 内部の写真撮影は不可でした。 家の中は居間や書斎がシベリウス生前のまま(たぶん)残されています。 書斎にベッドがあったので「このベッドの上でシベリウスは死んだのですか?」と聞いたところ「そうです」との返事で、感動最高潮です (^_^ゞ。
ヤン・シベリウス(1865年12月8日 -1957年9月20日)は、1892年にアイノ・ヤルネフェルトと結婚。 五女をもうけました。 1900年:『フィンランディア』 1901年:交響曲第2番 1903年:ヴァイオリン協奏曲 1904年(39歳?):「アイノラ」を建てる 1907年:交響曲第3番 1925年(60歳?)の交響詩『タピオラ』を最後に、シベリウスは長い沈黙の時代に入ります。 1957年(91歳)に脳出血により死亡。 見取り図の⑥がシベリウス夫妻のお墓です。 バイロイトにあるワーグナー夫妻のお墓に似たお墓でした。 お墓の回りにはリンゴの木が多くて不思議でしたが、アイノ夫人はリンゴ作りの名手だったそうです。
見取り図の③がシベリウスが使ったサウナ小屋です。 このサウナは写真を撮ることが出来ます。 サウナに入る裸のシベリウスを想像して、もう大感動です (^_^ゞ。
庭は綺麗に手入れされた花壇になっていました。
|