ヘルシンキ紀行 2009年8月14日(金)
4)アイノラ シベリウスの家(2)

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 まずアイノラの見取り図を出しておきましょう。
 


 パーキングから入った⑤がチケットオフィスです。
 パンフレットに貼ったワッペンは本来は襟に付けるものですが、肩掛けカバンですぐに取れてしまいます (^_^ゞ。
 今回の北欧旅行では、このようにチケットがワッペンの施設が多かったです。

チケットオフィス パンフレット
 
 
 見取り図の①がシベリウスの家です。
 内部の写真撮影は不可でした。

 家の中は居間や書斎がシベリウス生前のまま(たぶん)残されています。
 書斎にベッドがあったので「このベッドの上でシベリウスは死んだのですか?」と聞いたところ「そうです」との返事で、感動最高潮です (^_^ゞ。

シベリウスの家  
 

  ヤン・シベリウス(1865年12月8日 -1957年9月20日)は、1892年にアイノ・ヤルネフェルトと結婚。
 五女をもうけました。

 1900年:『フィンランディア』
 1901年:交響曲第2番
 1903年:ヴァイオリン協奏曲
 1904年(39歳?):「アイノラ」を建てる
 1907年:交響曲第3番

 1925年(60歳?)の交響詩『タピオラ』を最後に、シベリウスは長い沈黙の時代に入ります。
 1957年(91歳)に脳出血により死亡。

 見取り図の⑥がシベリウス夫妻のお墓です。
 バイロイトにあるワーグナー夫妻のお墓に似たお墓でした。

 お墓の回りにはリンゴの木が多くて不思議でしたが、アイノ夫人はリンゴ作りの名手だったそうです。
 
こちらの道を行くと シベリウスが使った(?)井戸があり
シベリウス夫妻のお墓がある   
  お墓の周りにリンゴの木が多かった


 見取り図の③がシベリウスが使ったサウナ小屋です。
 このサウナは写真を撮ることが出来ます。
 サウナに入る裸のシベリウスを想像して、もう大感動です (^_^ゞ。

シベリウスのサウナ小屋 ここで火を焚いて
シベリウスが入った浴槽 シベリウスが座ったイス


 庭は綺麗に手入れされた花壇になっていました。

家の前から庭園を撮る 庭園から家を撮る
 
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