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花の聖母教会(ドゥオーモ)の周囲には建物がいっぱいあって、大聖堂をうまくカメラに収めることができません。 洗礼堂の右と左から写真を撮っておきました。
教会の中は意外に質素で、あまり面白くありません。 この時期はどの教会も、キリスト誕生の場面の飾り付けがされていました。 1478年4月26日、大聖堂でのミサの席上、パッツィ一味はメディチ兄弟を襲撃しました。 ロレンツォの弟のジュリアーノは殺害されましたが、ロレンツォは傷を負いながらも新聖具室に逃げ込み、かろうじて難を逃れる事が出来ました。
大聖堂の中央にはキリスト生誕の場面を人形で再現した飾り付けがされていました。 これは「プレゼピオ(Presepio・馬小屋)」と言うそうで、この後もいろいろな教会で見ることになります。 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (ルカによる福音書2章)
大聖堂の正面に建っているのが洗礼堂で、ギベルティによる「天国の扉」が有名です。 近寄ってみたけれど、細かくてよく分かりませんでした (^_^ゞ
メディチ家礼拝堂、サン・マルコ寺院と回ってみましたが、いずれも午後はお休み。 仕方がないのでポンテ・ヴェッキオに向かいました。 橋に休みはないでしょうから (^_^; 。 |