『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月2日(月) 21)クロイツェルの墓、ゴセックの墓(ペール・ラシェーズ墓地) |
次はアンリ・コンスタン・ガブリエル・ピエルネの墓(1863〜1937)。 作曲者としては「小牧神の入場」や「鉛の兵隊の行進曲」など子供向きの曲が知られています。 コロンヌ管弦楽団の指揮者として、ドビュッシーやラヴェル(『ダフニスとクロエ』第1組曲)、ストラヴィンスキー『火の鳥』などの初演を指揮したそうです。
2つの円柱のお墓が並んでいて、左の白いお墓がイグナツ・ジョセフ・プレイエルの墓(1757〜1831)。 イグナツ・プレイエルはオーストリアの作曲家。 1795年以来パリに住み、楽譜の出版、ピアノの製造に乗り出しました。 1831年にイグナツが他界した後は、息子カミーユがその跡を継ぎました。 1832年にパリに来たショパンは、プレイエル社製のピアノを好んで演奏しました。 その隣にある傾いたお墓がロドルフ・クロイツェルの墓(1766〜1831)。 ロドルフ・クロイツェルまたはロドルフ・クレゼール(フランス語読み)は、フランスのヴァイオリニスト・作曲家・指揮者。 ウィーンでその演奏に接したベートーヴェンから、1803年にヴァイオリン・ソナタ(クロイツェル・ソナタ)を献呈されています。 クロイツェルのヴァイオリン教則本も有名です。
次はテオドール・ジェリコーの墓(1791〜1824)。 このお墓には驚きました。 彼の代表作である「メデューズ号の筏」のブロンズ彫刻がお墓の正面に嵌められているんです。
次はナポレオンの宮廷画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドの墓(1748〜1825)。 ナポレオンの失脚後、ダヴィッドはブリュッセルへ亡命し、1825年に同地で77年の生涯を終えました。 シャルル10世は彼の遺体のフランスへの帰国を許さず、この墓には心臓だけが納められているそうです。
次はフランソワ=ジョセフ・ゴセックの墓(1734〜1829)。 ベルギー出身の作曲家、指揮者。 スズキメソッドの教則本第1巻(?)に「ゴセックのガヴォット」が出てくるので、ヴァイオリンを弾く人ならゴセックを知らない人はいないくらいの超有名人 (^_^) 。
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