『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月2日(月)
22)アングルの墓、イヴ・モンタンの墓(ペール・ラシェーズ墓地)
  
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 次はエジプト学者、ジャン・フランソワ・シャンポリオンの墓(1790〜1832)。
 彼はロゼッタ・ストーンを手がかりに、エジプト象形文字(ヒエログリフ)を解読しました。
 墓はエジプト学者らしく、オベリスクとなっています。
 
フランソワ・シャンポリオンの墓  
 

 次は画家ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルの墓(1780〜1867)。
 ダヴィッドに学び、新古典主義を継承し、ドラクロワらのロマン主義絵画に対抗しました。
 『泉』『グランド オダリスク』など。
 アングルはヴァイオリン奏者としても優れており、鬼才ニコロ・パガニーニと弦楽四重奏団を結成していたそうです (@o@)。
 
アングルの墓  


 一つの柵の中に、モリエールの墓(1622〜1673)とラ・フォンテーヌの墓(1621〜1695)が並んでいました。
 彼らの墓は1817年にここに移されたそうです。

 モリエールはルイ14世時代の劇作家にして役者。
 『町人貴族』はリヒャルト・シュトラウスの《ナクソス島のアリアドネ》との関係で、名前を知っています。

 ラ・フォンテーヌは寓話の作家として知られているそうです。

右がモリエールの墓 ↑ 左がラ・フォンテーヌの墓


 次は『アルルの女』を含む短編集『風車小屋だより』や『最後の授業』やで知られる作家、アルフォンス・ドーデの墓(1840〜1897)。

アルフォンス・ドーデの墓  


 アルフォンス・ドーデの墓の近くにあるヴィクトル・ユーゴーの墓(1802〜1885)を見逃したのは残念でした。
 集中力の欠如ですね (^_^; 。
 ユーゴーは後にパンテオンに祀られました。

 次は時代も新しく、シャンソン歌手&映画俳優であったイヴ・モンタンの墓(1921〜1991)。
 イヴ・モンタンは1944年にエディット・ピアフに見出され、恋愛関係は数年続いた。
 1946年に出演した映画『夜の門』で歌った、主題歌の「枯葉」は大ヒットした。

 1951年に女優のシモーヌ・シニョレ(1921〜1985)と結婚。
 夫婦でフランス共産党の活動に参加していたが、後に共産主義とは訣別。

 モンタンは浮気を繰り返し、マリリン・モンロー『恋をしましょう』(1960年)の時は、シニョレが自殺未遂を起こしている。
 しかし今では、二人は同じお墓に入っている。

イヴ・モンタンの墓 シモーヌ・シニョレと一緒に


 『パリの墓地』によれば、この辺りに大女優サラ・ベルナールのお墓(1844〜1923)があるはずなので、一生懸命探しましたが、見つけることが出来ませんでした。
 

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