『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月2日(月) 24)オスカー・ワイルドの墓、エディット・ピアフの墓(ペール・ラシェーズ墓地) |
納骨堂の隣りの第八十五区画にマルセル・プルーストの墓(1871〜1922)がありました。 この辺りがペール・ラシェーズ墓地の左上になります。 プルーストの小説『失われた時を求めて』は長くて難解なことで有名。 一緒にお墓を探した女の子に「プルーストの小説は読んだことがない」と言ったら「私の弟と一緒」という返事。 ということは、彼女はプルーストの長い小説を読んだことがあるわけだね。
ここからペール・ラシェーズ墓地の一番奥まで進み、八十八区画にマリー・ローランサンの墓を探すも発見できず。 道路から中に入ったお墓は探しにくいです。 疲れて諦めて右へ進み、八十九区画にエドゥアール・コロンヌの墓(1838〜1910)。 コロンヌ管弦楽団を創設した指揮者です。 彼は同時代の作曲家の作品を多く指揮し、作品の普及に尽力しました。
コロンヌのお墓のそばにオスカー・ワイルドの墓(1854〜1900)。 溢れるばかりの才能を持ちながら、同性愛のために禁固・重労働の判決を受け、我が子との縁は絶たれ、破産宣言を受け、破滅した流行作家です。 代表作は『サロメ』『幸福な王子』でしょうか。 『パリの墓地』によれば、ワイルドの賛美者の女性が、ロダンの弟子であるエプスタインに依頼して、20トンの石を9ヶ月かけて削り、死の天使の形に完成したお墓だそうです。 お墓の形もおかしいし、キスマークがいっぱいで、変態的なお墓でしたが、回りに若い女性が多かった。
ペール・ラシェーズ墓地の右奥、九十六区画にアメデオ・モディリアニの墓(1884〜1920)を探すも発見できず。 この頃になると、だいぶ気力も衰えています (^_^; 。 しかし、九十七区画にあるエディット・ピアフの墓(1915〜1963)は簡単に探すことが出来ました。 人がいっぱいいるんです (^_^) 。 エディット・ピアフはフランスで最も愛されているシャンソン歌手の一人であり、代表作は『バラ色の人生』『愛の賛歌』など。 その人生は波乱に富み、とても纏められません (^_^; 。 癌のためにカンヌの病院に入院し、47歳で死亡しました。
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