『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月3日(火)
30)マリー・アントワネットの独房(コンシェルジュリー)
  
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 ノートルダム寺院からメトロ駅を振り返ると、中央に建っているのが最高裁判所。
 その前に長い列が出来ているので聞いてみました。
 彼らはステンドグラスが有名な「サント・シャペル」(最高裁判所の左側)に並んでいるのだそうです。

 
中央に建っているのが最高裁判所 「サント・シャペル」に並ぶ人々


 しかし、僕が入ってみたかったのは最高裁判所の右側にある「コンシェルジュリー(王室管理府)」。
 こちらの列は短かかったです (^_^) 。


 パリ発祥の地であるシテ島には、カペー王朝時代の10世紀から14世紀にかけて、シテ王宮がありました。
 14世紀、シャルル5世の時代に王宮の移転が決まり、シテ王宮はコンシェルジュリーとして裁判所、刑務所として使用されるようになりました。

 入口から入った「衛兵の間」は14世紀のゴシック建築で、かつては王の主催する宴が催されました。

コンシェルジュリーの列は短かった 中に入ると「衛兵の間」


 フランス革命の時代、今の最高裁判所のある場所に革命裁判所があったようです。
 そして隣の「コンシエルジュリー」は革命裁判所の監獄となりました。
 1793年3月10日から革命法廷解散の1795年5月31日までの2年の間に、2780人がギロチン台に送られました。

 1793年8月1日に王妃マリー・アントワネットはタンプル塔からコンシェルジュリー牢獄に移され、革命裁判所での裁判を経て、10月16日にコンコルド広場で処刑(38歳)されるまで、この建物に幽閉されました。
 この間を彼女が過ごした独房が再現されていました。

 部屋にあるのは机と粗末なベッドだけ。
 薄い衝立の上から2人の兵士が見張る中で、彼女はプライバシーを守られることもなく、最後の日々を過ごしたわけです。

衝立から兵士が監視する マリー・アントワネットの後ろ姿

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