『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月3日(火) 33)アンヴァリッド ナポレオンの墓 |
最後に訪ねるお墓はアンヴァリッド(廃兵院)にあるナポレオンのお墓です。 メトロのアンヴァリッド駅で降りると、遠くにアンヴァリッドの堂々たる建物が見えます。 アンヴァリッドはルイ14世によって傷病兵を看護する施設として建設され、1674年に最初の傷病兵が入ったそうです。 中央に輝くドーム教会は1706年に完成し、今ではナポレオン・ボナパルトの霊廟となっています。 1789年7月14日の朝、パリの民衆はアンヴァリッドを襲い、多くの銃や大砲を手に入れ、バスチーユ要塞に向かいました。 フランス革命の始まりです。
受付には長い列が出来ていました。 軍事博物館などいくつかの見学コースがあるようですが、フランス語は分からないので、「ナポレオン!」と言って、渡されたチケットでドーム教会に入りました (^_^; 。 ワーテルローの戦いで敗れたナポレオンは、1815年、南大西洋に浮かぶイギリス領の孤島セントヘレナ島に送られました。 1821年5月5日、ナポレオンはセントヘレナ島で死亡しました。 死因は胃癌だったとされますが、ヒ素による毒殺説もあるそうです。 享年51歳とは、胃癌にしては若すぎるような。 解剖では胃に穴が開いていたそうで、胃潰瘍ではないのかな? ナポレオンの遺体はセントヘレナ島に埋葬されました。 1830年の7月革命でオルレアン公ルイ=フィリップが国王として迎えられました。 1840年、国王ルイ=フィリップは高まるナポレオン人気に応えるため、イギリスとの長い交渉を経て、第3王子のジョワンヴィル公を代表にした引き取り団をセントヘレナ島に派遣しました。 10月8日にジョワンヴィル公はナポレオンの棺を掘り起こしました。 ナポレオンの死後19年経っていましたが、遺体の保存状態は非常に良かったといいます。 1840年12月15日、ナポレオンの棺は霊柩車に乗せられ、凱旋門を通って群衆で埋め尽くされたシャンゼリゼ大通りを通り、アンヴァリッドに収容されました。 ヴィスコンティの設計による地下霊廟が完成し、ナポレオンの棺が霊廟に移されたのは1861年4月3日でした。
地下墓所への階段は祭壇の右手にありました。 回廊には皇帝の芴と王冠を持ったナポレオンが立っていました。 ナポレオンの遺体は六重の柩に納められているそうです。 大きな樫製の棺を見ながら、あのナポレオンがこの中にいるのかと、いろいろな逸話を思い出し、しみじみとしたところで、今回の旅行の目的であったお墓参りはお仕舞いとなりました。
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