『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月3日(火)
32)パンテオン フーコーの振り子 キュリー夫人の墓
  
前へ  パリの目次へ  ホームページへ  次へ
 
 
 僕は2009年1月にローマのパンテオンにも行ったことがありますが、今さらながら (^_^ゞ 「パンテオン」の意味をWikipediaで調べてみました。
 
 パンテオン(Pantheon)は、ギリシア語の「すべての神々」という言葉に由来し、ある特定の宗教や神話におけるすべての神々を意味する。
 転じて、すべての神々を祀る神殿のこと。万神殿。
 16世紀には宗教的な意味から切り離され、神々ではなく偉人たちを祀る建造物のことをも意味するようになった。
 
パンテオン 反対方向を振り返ると


 パンテオンは「フーコーの振り子」で有名ですが、何だか分からないので (^_^ゞ 、またまたWikipediaを調べますと、以下のように書かれていました。

 フーコーの時代、地球の自転は常識となりつつあったが、それを物理的に証明する方法は開発されていなかった。
 フーコーは、振り子を振れさせると、赤道以外の場所では、地球の自転によって振り子の振動方向がみかけ上少しずつ回転するようにずれていくはずだと考えた。
 1851年にまず自宅地下室で2mの振り子を用いて実験を行い、同年2月パリ天文台にて公開実験を行って、成功を収めた。
 さらにナポレオン3世の好意により、同年3月から12月にかけてパンテオンにて公開実験が行われた。
 このとき用いた振り子は、パンテオンの大ドームから全長67mのワイヤーで28kgのおもりを吊るしたものであった。

 パンテオンにはフーコーの振り子の展示がありました。
 現場ならではの説得力を感じます。
 Wikipediaによれば名古屋市科学館にもフーコーの振り子の展示があるそうですが、科学館は新しいプラネタリウムで大混雑で、しばらくは近づけません。

 今回の旅行の目的であるお墓は、階段を降りた地下にありました。

パンテオンの内部 フーコーの振り子
ドーム 地下墓所への階段


 最初に見たのはヴォルテールの墓(1694〜1778)。
 啓蒙主義を代表する哲学者、作家。
 僕にとってヴォルテールといえば、バーンスタインのミュージカル《キャンディード》の原作(?)となった『カンディード』でしょうか。
 
ヴォルテール像 後ろにヴォルテールの墓


 続いて、ジャン・ジャック・ルソーの墓(1712〜1778)。
 ジュネーブ出身の哲学者、思想家、教育家、作家。
 童謡「むすんでひらいて」の作曲者。
 ジュネーブにはルソー島がありましたね。
 
ジャン・ジャック・ルソーの説明板 ジャン・ジャック・ルソーの棺


 ヴィクトル・ユーゴーの棺(1802〜1885)とエミール・ゾラの棺(1840〜1902)は同じ部屋にありました。
 ヴィクトル・ユーゴーの遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬されましたが、後にパンテオンに移されました。
 ユーゴーといえばミュージカル《レ・ミゼラブル》。
 原作も読んでみましたが長くて読みにくくて、どうしてこの小説が大ヒットしたのか、よく分かりませんでした (^_^ゞ。

 ゾラの遺体は1908年にモンマルトル墓地からパンテオンに移されました。

地下墓所の通路 ヴィクトル・ユーゴーとエミール・ゾラ
左がヴィクトル・ユーゴー ヴィクトル・ユーゴーの棺
右がエミール・ゾラ エミール・ゾラの棺


 パンテオンではもう一人、キュリー夫人の棺(1867〜1934)。
 キュリー夫妻の部屋には入ることが出来まして、棺にさわることも出来ます。

 キュリー夫人の伝記を子供の頃に読んで、偉い人だと感心した人も多いでしょう。
 マリー・キュリーはワルシャワの出身。
 フランスの科学者アンリ・ベクレルがウランから放射線が出ていることを発見したことを基礎に、夫ピエールと共に実験を重ね、放射線を出す物質を分離してラジウム名付けました。
 1903年に夫ピエール、アンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞しました。
 初めての女性ノーベル賞受賞者でした。

 1906年4月19日、夫ピエールは馬車に轢かれて死亡しました。
 ピエールは実家のあるソーの墓地に埋葬されました。
 ピエールの死後、研究を続けるため、マリーはパリ大学初の女性教授に就任しました。

 1911年にはノーベル化学賞を受賞し、初めて二度のノーベル賞受賞者となりました。
 マリーはその後も精力的に活動を続けましたが、1934年7月4日、放射能の副作用と考えられる再生不良性貧血で死亡しました。
 彼女の棺は、ソーにある夫ピエールの棺と並んで埋葬されました。

 1995年、キュリー夫妻の棺はフランスの偉人としてパンテオンに移されました。
 マリーはパンテオンに祀られる初の女性となりました。

キュリー夫妻の案内板 上がキュリー夫人

前へ  パリの目次へ  ホームページへ  次へ