《キャンディード》 佐渡 裕 & ロバート・カーセン
2010年7月25日(日)2:00PM 兵庫県立芸術文化センター

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 僕は2回、佐渡裕さんの指揮で《キャンディード》を聴いています。
 1回目は1999年11月24日(水)の演奏会形式、2回目は2001年7月15日(日)で宮本亜門演出
 いずれも大変に退屈な舞台でありました。

 宮本亜門演出の時にはメイキング番組が放映されまして、キャンディード役の石井一孝さん(ミュージカル出身)を「音が取れていない」とサディスティックに(と思えた)責め付ける佐渡さんに、僕は良い印象を持つことが出来ませんでした。
 落ち込む石井さんをTVカメラが追っかけて晒し者にするなんて‥‥気の毒なことでした。

 師匠のバーンスタインが《ウェスト サイド ストーリー》のメイキングビデオでホセ・カレーラスを苛めた(?)ことは有名ですが、佐渡さんは師匠の物まねをしているように僕には見えました。
 音が取れていないなら、ピアノを叩いて指導すれば良いではありませんか。
 ただ「音が取れていない」と責められても、責められた方も困るでしょう?

 宮本演出のつまらなさもあって、それ以来《キャンディード》は僕にとって見る価値のないミュージカルになりました。
 6月に帝国劇場で行われたジョン・ケアード(《レ・ミゼラブル》の演出家)演出の公演も見に行きませんでした。
 代わりに?家人が見に行って、良かったと言っていました。

 当然ながら今回の公演も行く気はなかったのですが、気が付けば演出がロバート・カーセンなんですね。
 ロバート・カーセンの演出はどうしても見逃すことが出来ませんので、やむを得ず (^_^ゞ 行って参りました。

    L・バーンスタイン《キャンディード》
  指揮:佐渡 裕  演出:ロバート・カーセン

    2010年7月25日(日)2:00PM
    兵庫県立芸術文化センター大ホール

  ヴォルテール/バングロス/マーティン
           :アレックス・ジェニングス
  キャンディード:ジェレミー・フィンチ
  クネゴンデ:マーニー・ブレッケンリッジ
  オールドレディ:ビヴァリー・クライン
  バケット:ジェニ・バーン
  マキシミリアン:デヴィッド・アダム・ムーア

 このプロダクションはパリ・シャトレ座とスカラ座、イングリッシュ・ナショナル・オペラによる共同制作なんだそうで、今回のキャストにもその時のメンバーが多く出演しているようです。

 ロバート・カーセンは時代をこの作品が初演(1956年)された1950~60年代のアメリカに設定して、キャンディードの家(お金持ち)はホワイトハウスで、両親はケネディ大統領夫妻。
 もっと新しい最近の話題も取り上げられていました。

 舞台は全体が大きなテレビになっていて、序曲の間にも当時のアメリカの映像が流れます。
 その画像を見逃さないようにしていると、音楽に集中することが出来ません。
 やがてテレビの前にヴォルテールが現れ、彼の解説で物語が始まります。
 
 カーセンの演出は期待どおり才気に溢れたもので、この支離滅裂なミュージカルを楽しく見ることが出来ました。
 これから見られる方のためにはどこまで書いて良いのか難しいところですが、有名なアリア「きらびやかに華やかに」を歌うクネゴンデはマリリン・モンロー。
 首吊りの場面はイングリッシュ・ナショナル・オペラの《ビリー・バッド》を見ている僕としては、先が読めるところがありました。

 歌手はマイクを使っておりました。
 僕はマイクをとおして聴く山口祐一郎さんの声の迫力にはゾクゾクするんですが、今日のキャストにゾクゾクすることはありませんでした。

 ストーリーがこれほど目茶苦茶では登場人物に感情移入することなど出来ませんが、オールドレディのビヴァリー・クラインが、一番インパクトがあったでしょうか。
 この人はロンドンの舞台に出たらしい。

 マリリン・モンローを演じるマーニー・ブレッケンリッジも役に合っていたでしょう。
 しかし端役に至るまで、どの役も歌に演技にレベルが高くて、「さすが本場から来たメンバーだなあ」と感心しました。

 カーセンの舞台に気を取られてオーケストラは気になりませんでしたが、このような素晴らしいプロダクションを上演していただいた佐渡裕さんには感謝したいと思います。

 終演後にはサイン会があるそうで、どれほど多くの人が並ぶのだろうと心配すると共に、ファンを大事にする佐渡さんの気持ちを嬉しく思いました。


◇愛知オペラさんに次のようなコメントをいただきました。

  兵庫の最終日に行って来ました。県芸であった演奏会形式と亜門演出は行く気がせず、行かなかったのですが、今回の舞台は、カーセンですし、数年前に県芸の資料室で仏の‘L`OPERA`誌の写真を見て「面白そうだなあ」と思っていたので行って来ました。

 ヴォルテールの原作を読んで行ったのですが、時間の制約があるからか、少し大人しい話に成っていますね。「スター誕生」の台本を書いたドロシー・パーカーが関わっているのを十二分に利用していましたね。

 舞台設定を初演の1956年にしていますが、それは原作が発表されてからほぼ200年後です。笑いをとりにいきながら、ヴォルテールの批判精神が現代の我々を造ったとも言える点をきちんと踏まえていますね。

 カーテン・コールは総立ちになりました。関西のオバちゃんを総立ちにさせるカーセンの腕は凄い!
 行列は、自分が見た時は、駅へ行く通路の、道路の上ぐらいまでいっていました。

 プレミエ当時の大統領や首相が出て来る場面は、原作の中でキャンディードが6人の元国王と会食するシーンをパロっていますね。また、ケネディやモンローを使っているのは単にインパクトを狙って選んだのではなく、作品の成立に絡んで選んでいますね。

 このミュージカルは赤狩りでエリア・カザンに密告をされ、非米活動調査委員会に呼び出され、協力を拒否したため、ハリウッドで干されてしまったリリアン・ヘルマンが、多くのユダヤ人が迫害されたスペイン異端審問を皮肉ったヴォルテールの「カンディード」を、共にユダヤ人であるバーンスタインにミュージカルにするように説得して出来たと言われています。

 ヴォルテールの原作は自分に対立する個人や組織を徹底的に皮肉っています。

 カーセンは明確に始まりは初演の1956年と示しています。最初ハリウッド映画風に始まるのは、ヘルマン達を売って自分の身を守り、その後もハリウッドで映画を撮り続けたエリア・カザンを皮肉っているのでしょう。ケネディは赤狩りを支持しマッカーシーを擁護し続けたヘルマンの敵です。そしてモンローはこの時、カザンらが創設したアクターズ・スタジオに通い、カザンが演出した「欲望という名の電車」の舞台に出ていた頃です。ケネディは当時、マクレラン委員会でマフィアを追及して上院議員として名を上げながら、妹の夫とシナトラの紹介でジアンカーナらのマフィアと交遊を深め、また同時に妹の夫の紹介でディマジオと別れたばかりのモンローと初めて関係を持ったと言われています。もちろん、ジャックリーンとはもう結婚しています。

 この敵対する人間をパロって笑いのタネにするカーセンのやり方がヴォルテールの原作にそっくりです。この舞台はパリのシャトレ座のために創ったものですが、パリの聴衆の多くはヴォルテールの原作を読んでいるでしょう。でもこれは、ヘルマンやバーンスタインらアメリカ人が創った作品なんだということを強調したかったのでしょうね。亜門演出は観ていませんが、ヴォルテールの原作に拘って作った舞台だったのでは?

 これは久々のカーセンのヒットですね。

 ヴォルテールの原作ではキャンディードは財産を失い最後に小さな畑が残り、その畑を耕して生きていくことに喜びを見出して終わります。映像からは「出来ることをやってより良く生きていこう」というカーセンのメッセージを感じました。

 原作の解説を読むと、ヴォルテールはルイ15世の妃を賭博のいかさま師呼ばわりし(多分本当だったのでしょう)、パリに居られなくなり、その後移ったプロイセンでも王と上手くいかなくなり、ジュネーブに領地を買って、片手に鍬、片手に本という生活を送っていたようです。「カンディード」を書いた頃はフェルネーという領地を新たに買い、領民のあまりの貧しさに、「なんとかしなければ」と思い、その後、領民の為に村に産業を興したりしたようです。現在、その村はフェルネー・ヴォルテールと呼ばれています。

 また、リスボン大地震と七年戦争にショックを受け、最善説に異を唱えるために「カンディード」を書いたようで、カーセンの最後の映像は原作の根幹にかかわるものだと思います。

 石油が吹き出す場面は「ジャイアンツ」でジェームズ・ディーンが石油を掘り当てる場面のパロディだと思いますが、今日、レンタル屋で「ジャイアンツ」のDVDを見たら、1956年の映画なんですね。ディーンはアクターズ・スタジオ出身ですし・・・。カーセンは貪欲で徹底していますね。
 
 
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