『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月3日(火) 34)ショパン最後の家 ヴァンドーム広場 |
メトロでコンコルド(融和)広場に移動します。 コンコルド広場はフランス大革命時代には「革命広場」と呼ばれ、ルイ16世、マリー・アントワネット、ダントン、ロベスピエールなど1119名(地球の歩き方参照)もの人がギロチンで処刑されました。 その処刑を多くの民衆が喜んで見物していたとは、フランス人の残虐性に胸が悪くなる思いです。 高さ約22メートルのオベリスクはルクソールにあったもので、1883年にエジプトのムハンマド・アリから贈られました。
コンコルド広場からチュイルリー公園の壁に沿って歩き、ヴァンドーム広場に向かいます。 ヴァンドーム広場に立つ円柱はナポレオンによって建てられたもので、先端にはナポレオン像が立っています。 1849年9月下旬、肺結核の症状がますます悪化したショパンは、冬を過ごす暖かい部屋を求めて、ヴァンドーム広場12番地にある新しいアパートに引っ越しました。 彼の部屋は今では宝石店ショーメとなっています。
多くの友人や弟子が彼の元を訪れました。 しかしショパンの症状は急速に悪化し、1849年10月17日午前2時にショパンは息を引き取りました。 享年39歳でした。 姉ルドヴィカ、ジョルジュ・サンドの娘ソランジュ、グジマワ、チャルトリスカ夫人、主治医、愛弟子、友人らがショパンの臨終に立ち会いました。
ソランジュの夫クレサンジュが、ショパンのデスマスクを取りました。 ショパンの葬儀は10月30日にマドレーヌ寺院で行われ、遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。
ヴァンドーム広場に面したホテル・リッツ(15番地)はダイアナ妃が最後の食事をしたホテルだそうで、彼女が最後に見た景色の一つがこの広場だったわけですね。 |