『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月3日(火) 35)チュイルリー公園 ソルフェリーノ橋 |
チュイルリー宮殿は1563年に当時の摂政であった王母カトリーヌ・ド・メディシスにより建設が始まり、約100年の年月をかけて完成しました。 1664年にはルイ14世の命令で、ル・ノートルによって庭園が整備されました。 1683年に王宮はヴェルサイユ宮殿に移りました。 ル・ノートルはヴェルサイユ宮殿の庭園整備も手掛けました。 1789年10月5日に起きた「ヴェルサイユ行進」により、ルイ16世一家は住み慣れたヴェルサイユ宮殿を離れ、チュイルリー宮殿に連行されました。 1791年6月下旬、パリ市民に監視される生活が続いた国王一家は、その重圧に耐えきれず、「ヴァレンヌ逃亡事件」を起こしました。 1792年8月10日に起きた「チュイルリー宮殿襲撃」により、国王一家はタンプル塔に幽閉され、王権は停止されました。 宮殿の警備に当たっていた約600人のスイス人傭兵が虐殺されました。 ルツェルンにあるスイス人傭兵の記念碑には行った事があります。 王権停止後のチュイルリー宮殿では国民公会が開催され、公安委員会、保安委員会などが設置されました。 フランス革命後、チュイルリー宮殿は一時的にナポレオンの王宮となりましたが、普仏戦争後の「パリ・コミューン蜂起」(1871年5月)の際に、コミューンと臨時政府軍との戦いで焼失しました。 パリはどこへ行っても血生臭いですね。
中央の道をルーブル美術館とおぼしき建物の方向へ進んで行くと、子供がヨットで遊んでいる池がありました。 「のだめカンタービレ」で、のだめは沖に行く子供のヨットを引き戻そうとして、池に落ちたのでした。 しかし見ていると、ヨットは風に乗って対岸までたどり着く(そこが面白い)わけで、なにも無理にヨットを引き戻す必要はなかったわけです。
チュイルリー庭園を横切って進むと、セーヌ川にかかるソルフェリーノ橋がありました。 床が木製で二段になった橋で、なかなか良い雰囲気です。 カンヴァスを立てて絵を描いている人がいましたが、絵を売っているのかな?
ソルフェリーノ橋を渡るとオルセー美術館ですが、そこは長蛇の列で、潔く諦めました。 これでは一生、オルセー美術館やルーブル美術館に入れませんね (^_^; 。 そばのレストランでクレープの昼食。 少し歩いたらお寿司屋さんがあったので、またまた昼食。
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