前へ ホームページへ 紀行目次へ 次へ サウンド・オブ・ミュージック |
ザンクト・ペーター教会(聖ペーター教会)は『サウンド・オブ・ミュージック』の墓場のシーン(逃走シーン)の舞台だと紹介されています。 しかしあのシーンは明らかにハリウッドのセットであり、「ロケ地探訪」をしている僕にはあまり興味の無い教会でした。 しかし今回は「落ち穂拾いの旅」なので、何でも拾っておかないとね (^_^) 。
もう一つ、この教会で僕が訪れたかったのは、モーツァルトの姉であるナンネル・モーツァルト(マリア・アンナ・モーツァルト)の墓。 ザンクト・ペーター墓地に入るとたくさんのお墓があって、この中からどうやってナンネルの墓を探すのか途方に暮れたのですが、彼女の墓はカタコンベの入口にありました。 ナンネルは1784年にザンクト・ギルゲン(母親の故郷)に住むゾンネンブルク男爵と結婚しました。 男爵は15歳年上で、前妻との間に5人の子供がいました。 ナンネルは夫との間に3人の子供をもうけました。 1801年、夫の死後はザルツブルクに戻り、ピアノ教師をしました。 しかし1820年には失明し、1829年に78歳で死亡しました。 目の見えない老人になってしまい、生活保護制度も無かったであろう当時に、ナンネルは貧しい老後を送ったのではないかと心配していたのですが、立派なお墓があって一安心。 前に書いたように、ザンクト・セバスチャン墓地にあったモーツァルト家の墓はコンスタンツェに乗っ取られてしまったので、彼女は遺言でこのザンクト・ペーター墓地を選んだそうです。 彼女にはレオポルドという息子がいたそうで、この息子がいろいろ面倒を見たのでしょうか? もう一つ驚いたのは、ナンネル(1751年〜1829年)と、ヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟であるミヒャエル・ハイドン(1737年〜1806年)のお墓が一緒になっていたこと。 先に死亡したミヒャエル・ハイドンのお墓に、ナンネルが入れてもらったのかな? 69歳のミヒャエルと55歳のナンネルが「死んだら一緒の墓に入ろう」などと約束していたとすればロマンチックですね (^_^) 。 床の石板にはナンネルの方が上に書いてありました。
ヨハン・ミヒャエル・ハイドンは兄のヨーゼフと同じく、ニーダーエスターライヒ州ローラウに生まれました。 彼も兄と同じ音楽家の道を目指し、1763年(26歳)にはザルツブルク大司教ジークムント3世の宮廷楽団の楽長に就任。 そのままザルツブルクに住み、多くの作品を残しました。 ミヒャエル・ハイドンの住んでいた家はザンクト・ペーター墓地の近くにあり、何とホーエン・ザルツブルク城塞に登るケーブルカー乗り場の隣の家。 壁にはプレートがはめ込まれています。
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