チロル&ザルツブルク 落ち穂拾いの旅
21)ゲオルグ・フォン・ニッセンの墓 聖セバスチャン教会  2012年5月1日(火)

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 到着したザルツブルク駅は改装工事中でした。
 まずはスーツケースをコインロッカーに入れて一安心。
 今回は毎日ホテルが違うので、このコインロッカーには毎日お世話になりました。
 いつも1〜2割は空いていました。

ザルツブルク中央駅 改装工事中
コインロッカー 使い方が難しかった


 さっそくタクシーに乗って、聖セバスチャン教会に向かいます。
 この教会にはモーツァルト一家のお墓があって、2007年8月に訪れたことがあります。
 その時のレポートを引用させて頂きます。



 モーツァルトは1791年1月27日に35歳で死亡しました。
 この時コンスタンツェは28歳でしょうか。
 コンスタンツェは1809年にデンマークの外交官であるゲオルグ・フォン・ニッセンと再婚しました。
 1821年に夫妻はザルツブルクへ引っ越し、1826年にニッセンが逝去。
 コンスタンツェは1842年に80歳で死亡しました。

 中央にあるの大きい墓がコンスタンツェの墓です。
 共同墓地に投げ捨てられた夫ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとは大変な違いです。
 墓の表面には次のように書かれています。
 コンスタンティア フォン ニッセン モーツァルトの未亡人 旧姓ウェーバー
 1763年1月6日 Froyburg生まれ 1842年3月6日死亡

 右側のプレート、上はモーツァルトの父親であるレオポルド・モーツァルト(1719〜1787年)。

 下はEUPHROSINA PERTL。
 この人はザンクト・ギルゲンに関係があり、1755年に死亡しているらしい。
 モーツァルトの母親の旧姓はアンナ・マリーア・ペルトル( 1720年 ザンクト・ギルゲン生まれ)なので、EUPHROSINAはモーツァルトの母親の母親のようです。

 左のプレート、上は JEANNETTE BERCHTHOLD von SONNENBURG。
 この人は1789年にザンクト・ギルゲンに生まれ、1805年9月に死亡していて、ナンネルの長女だそうです。

 下は GENOVEFA WEBER。
 1764年1月生まれで、1795年3月死亡。
 木之下晃さんの『永遠のサウンド・オブ・ミュージック』によれば、この人はコンスタンツェの叔母で、なんと! 作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの母親なんだそうです。

 不思議な組み合わせのお墓ですね (^_^; 。
 どうもモーツァルト家のお墓はコンスタンツェに乗っ取られたようで、憤慨したナンネルは同じ墓に入らず、ケーブルカー乗り場に近い聖ペーター教会のお墓に入っているそうです。

 ところで、『永遠のサウンド・オブ・ミュージック』を含むどの資料にも、コンスタンツェとニッセンは同じ墓に埋葬されていると書かれています。
 しかし上に書いたように、聖セバスチャン墓地で僕はゲオルク・フォン・ニッセンの名前を見つける事が出来ませんでした。

 本当にこのお墓にニッセンがいるのかどうか、帰国してからも本を読んだりインターネットを検索したり悩みに悩みまして、ひょっとしてお墓の裏にニッセンの名前があるかも知れない、と思いつきました。
 ということで、コンスタンツェのお墓の裏を確認するのが今回の「落ち穂拾いの旅」の最大の目的の一つでした。

 コンスタンツェの墓は5年前に較べると薄汚くなっていました。
 そして緊張しながら裏に回ってみると‥‥そこにはゲオルグ・フォン・ニッセンの名前が書かれていたんですね。
 これで長年の悩みから解放され、僕は脱力しました (^_^) 。
 しかし一人目の亭主の墓は作らず、二人目の亭主の墓は名前を裏にしてしまうとは、コンスタンツェもひどい女だと思いましたよ。

5年前より薄汚くなっている 裏にはゲオルク・フォン・ニッセンの名前
 
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