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朝食時にレオポルツクローン城の本館に入ることが出来ました。 実に豪華な大広間でしたが、バイキングの内容はそれほどでもありませんでした。
レオポルツクローン城は1736〜1740年に当時のザルツブルク大司教レオポルト・アントン・エロイテリウス,フィルミアン男爵によって建てられたそうです。 第一次世界大戦末期の1917年に、ウィーンやベルリンで演出家、プロデューサーとして活躍し「演劇界の帝王」と呼ばれていたマックス・ラインハルト(1873〜1943年)がザルツブルクでの音楽祭開催を考え、祝祭劇場協会を発足させました。 1918年、ラインハルトは荒れ果てたレオポルツクローン城を購入しました。 彼は20年にわたりこの館に手を加え、この館は多くの芸術家のサロンとなりました。 1920年にラインハルト、フーゴー・ホーフマンスタール、リヒャルト・シュトラウスらによって第一回の「ザルツブルク音楽祭」が開催されました。 この年に上演されたのは、ホーフマンスタール作、ラインハルト演出の演劇『イェーダーマン(江分利満)』のみでしたが、1921年にはコンサートも開かれるようになりました。 彼らはこのレオポルツクローン城の大広間で、ザルツブルク音楽祭の構想を練ったことでしょう。
マックス・ラインハルトはユダヤ人であり、1938年のナチスによるオーストリア併合を受け、イギリス経由でアメリカに亡命しました。 彼が精魂を込めて飾り立てたレオポルツクローン城はナチスによって接収されました。 ラインハルトは1943年にニューヨークで客死しました(70歳)。 第二次大戦後にレオポルツクローン城はヘレナ夫人に返されました。 戦争が終わって間もない1947年、オーストリアから米国に逃れ、ハーバード大で学んでいた青年がヘレナ夫人に「戦争を二度と起こさないため、世界中の知識人が知的交流をする場を作りたい」と申し出ました。 この申し出に賛同した夫人は活動のためにレオポルツクローン城を提供し、ザルツブルク・セミナーが生まれました。 ザルツブルク・セミナーは『サウンド・オブ・ミュージック』のファンが嫌いだったようで、大切なガラスのパヴィリオンを放り出し、敷地内は私有物として立入禁止としていました。 しかしながら、2006年からホテルとして宿泊可能となり、僕も「落ち穂拾い」をすることが出来たわけです (^_^) 。 |