チロル&ザルツブルク 落ち穂拾いの旅
31)ヴィラ・トラップ 「旧トラップ邸」 (T) 2012年5月3日(木)

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 ザルツブルクに戻りまして、本日のホテルは「ヴィラ・トラップ(旧トラップ邸)」です。
 Sバーンの「アイゲン駅」に近いヴィラ・トラップはレオポルツクローン城よりは少し遠いけれど、それでも中央駅からのタクシー代は1000円ちょっとでした。

 ゲオルク・フォン・トラップ(1880〜1947年)は第一次世界大戦に潜水艦艦長として従軍し、国民的英雄となりました。
 1911年、アガーテ・ホワイトヘッドと結婚しましたが、妻アガーテは1922年、2男5女を残して死去(32歳)してしまいます。
 1925年にトラップ一家は、ザルツブルク郊外のアイゲンに引っ越しました。

アイゲンの「ヴィラ・トラップ」 中に入って
こちらが玄関 玄関を開けると


 1926年10月、マリア・アウグスタ・クチェラがノンベルク修道院から家庭教師として派遣されました。
 1927年6月、ゲオルクはマリアに求婚し、11月にノンベルク修道院で結婚式をあげました。
 このときゲオルクは47歳、マリアは22歳。
 ゲオルグとマリアとの間にも1男2女が生まれ、トラップ家は12人の大家族となりました。
 1933年、オーストリアを襲った金融恐慌によって全財産を預けていた銀行が破産し、ゲオルグは全財産を失いました。

控えの間(玄関から) 控えの間(庭から)
屋敷の裏庭から 庭からウンタースベルクが見える


 意気消沈したゲオルグに代わり、マリアは貴族のプライドを捨てて立ち上がります。
 彼女はトラップ邸の空き部屋を神学生に貸し出し、得意の歌で生計を立てようと思いつきます。
 彼らはザルツブルク大司教座から派遣されてきたフランツ・ヴァスナー神父の指導で練習を続け、1935年のザルツブルク音楽祭で優勝します。
 やがて一家は「トラップ室内聖歌隊」という名前でコンサートツアーを行うようになりました。

正面玄関と左手の階段  
2階からロビーを見る 2階の内装は真っ白
部屋の名前「KIKULI」の由来は不明 ← 子供のニックネーム?


 1938年、オーストリアがナチス政権下のドイツに併合され、反ナチスの立場だったトラップ一家はアメリカに亡命します。
 トラップ邸はナチスに接収され、ナチスの高官ハインリッヒ・ヒムラーの屋敷となりました。
 アドルフ・ヒトラーもしばしばこの屋敷を訪れたそうです。

 戦後は地元修道院に渡り一般には長く公開されませんでしたが、2008年からホテルとして生まれ変わり、多くの『サウンド・オブ・ミュージック』ファンを集めています。

 玄関を入ってマリアの自伝を思い出し、「本物のマリアも心配に胸をときめかせながらこの玄関からトラップ邸に入ったのだ」、という現場ならではの感慨が胸にこみ上げます。

 そして、アドルフ・ヒトラーもこの玄関から入ってきたのです。
 夜中に部屋のドアをノックして、ヒトラーが入ってくるという妄想に襲われました (^_^; 。
 
 
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