前へ ホームページへ 紀行目次へ 次へ |
「Gusutav Mahler Stube」の受付で4ユーロを払いますと、外の入口に行ってベルを押すように言われました。 何だか分からないので外に出ますと、そこは動物園の入口でした (@o@)。 ベルを押すと宿屋からリモートコントロールで解錠されるようです。 4ユーロは動物園の入場料でした。 この時点でも良く分からなかったのですが、マーラーの作曲小屋はこの動物園の中にありました。 宿屋の前の車は動物園のお客さんだったのですね。 動物園にはそれほど珍しくない動物と、家族連れのお客さんがいました。 動物園を過ぎた奥に、写真でおなじみの作曲小屋が建っていました。
作曲小屋には「この小屋でグスタフ・マーラーが1908〜1910年の夏に『交響曲第9番』、『交響曲第10番』と『大地の歌』を作曲した」と、イタリア語(上)とドイツ語(下)で書かれています。 1907年にウィーン宮廷歌劇場総監督の職を辞したマーラーは、同年12月に指揮活動の場をニューヨークに移しました。 夏の休暇を作曲に当てていたマーラーは、1908年〜10年の夏をトブラッハで暮らしました。 そして1908年(48歳)に『大地の歌』、09年(49歳)に『交響曲第9番』を完成させました。 1910年には『交響曲第10番』の作曲に取り組みましたが、妻アルマの恋人ワルター・グロピウスがトブラッハに押しかけるなど、緊迫した場面がありました。 アルマの不倫に悩み神経衰弱に陥ったマーラーは、8月にオランダのライデンにいた精神分析医ジークムント・フロイドを訪れその診察を受けました。 このようなマーラーの映画でよく取り上げられる場面は、このトブラッハであった出来事なのです。 この間もマーラーは『交響曲第8番《千人の交響曲》』の初演の準備を進め、9月12日にミュンヘンで自らの指揮で初演を行い、大成功を収めました。
マーラーが作曲小屋から眺めていた景色は、意外に平凡なものでした。 『大地の歌』冒頭のホルンの咆哮などは、この景色に合わないと思いました。 作曲小屋に展示された写真では、ドロミテ渓谷を観光するマーラーの写真もありましたが‥‥。
|