チロル&ザルツブルク 落ち穂拾いの旅
10)ベルク・イーゼル アンドレアス・ホーファー像  2012年5月1日(火)

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 インスブルック市内観光は今日一日だけです。
 時間のロスが無いように、まずは中心部から離れたところを回り、あとはゆっくり中心部を観光する作戦です。

 まずはインスブルックの南に位置するベルク・イーゼル。
 「地球の歩き方」にも出ているサイトシーアバスは王宮隣のコングレスハウス前から出発します。
 ヘッドフォンの解説に日本語があったのには驚きました。

王宮隣のコングレスハウス バスストップ
やってきたサイトシーアバス 日本語解説あり


 ベルク・イーゼルの停留所で降りると、目の前にアンドレアス・ホーファーの銅像が建っています。
 ここベルク・イーゼルは1809年に起きたチロル独立戦争の激戦地でしたが、その話は少しずつ触れていきます。
 このアンドレアス・ホーファー像は1893年にハインリヒ・ナッターによって製作された像だそうです。
 
アンドレアス・ホーファー像 インスブルック方向を向いている


 アンドレアス・ホーファーは1767年11月22日に今はイタリア領となっている、南チロル、パッサイヤ地方のサン・レオナルド(メランの北60キロ)に生まれました。
 父親は「ザンドホフ」という宿屋を経営していました。
 この宿屋は今でも現存し(ザンドヴィルト)、ホーファーが生まれた部屋が公開されているようです。

 ホーファーは両親の死後、22歳で「ザンドホフ」を引き継ぐと、宿屋の経営だけではなく、家畜、穀物、ワインなどの行商に手を広げるようになりました。
 これらの仕事を通じて、彼はチロル全体を知り、またチロルの人々に知られるようになりました。
 彼には人を惹きつけるカリスマ性があり、1790年(22歳)にはチロル州議会の議員に選ばれ、1797年にはパッサイア地方射撃部隊の隊長としてフランス軍と戦いました。
 彼は妻アンナとの間に、6人の娘と1人の息子をもうけました。

 
ザンドウィルト(ホーファーの生家) アンドレアス・ホーファー
 
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