チロル&ザルツブルク 落ち穂拾いの旅
15)王宮教会 マキシミリアン1世の墓  2012年5月1日(火)

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 王宮の隣りに王宮教会があります。
 ちょっと子犬のようで、可愛い教会です (^_^) 。
 入口は教会の左に建つチロル民族博物館にありました。

王宮教会と王宮。子犬に見える? 入口は左のチロル民族博物館


 王宮教会に入ると中央に大きなマクシミリアン1世の棺があり、その周囲を28体のブロンズ像が囲んでいます。
 これはマクシミリアン1世によって選ばれた、彼の死後を見守る人々(黒い彫像群)です。
 メンバーは主に彼の家族ですが、中にはアーサー王や西ゴートのテオドリック王がいたりします。
 これらの像の製作はマクシミリアン1世の生存中から始まっていたそうです。
 マクシミリアンは自分の墓所としてインスブルックを考えていたのです。

 中央の大きな棺の上には、祈りを捧げるマクシミリアン像が置かれています。
 しかしこの棺の中にマクシミリアンの遺体はありません。

 マクシミリアンは広い領土を治めるため、晩年になっても旅を続けていました。
 彼は戦いと芸術のために莫大な借金を抱えていました。
 彼が帝国議会の帰りにインスブルックに着いたとき、宿屋の主人は溜まった借金のために宿泊を拒否したといわれています。

 どうして皇帝が宿屋に泊まらなくてはならなかったのでしょう?
 王宮に泊まるのが当然だと思うのですが、どうなっていたのでしょう?
 次の皇帝は孫のカール5世ですが、ハプスブルク家としての支援は無かったのでしょうか?

 失意のマクシミリアンはイン川を下り、ザルツブルクからバートイシュルと2ヶ月の旅を続け、ドナウ川沿いのウェルス城(リンツの近く)で高熱を発し、死亡しました。
 1519年1月12日、享年59歳。
 彼の遺体は生地であり母レオノーレの墓所であるウィーナー・ノイシュタットのバーベンベルク城、聖ゲオルク教会に埋葬されました。
 そして心臓はブルージュの聖母教会にある最初の妻マリーの墓に共に埋葬されました。

王宮教会  
祭 壇 黒い彫像群
祭壇からオルガン方向 祈りを捧げるマクシミリアン1世


 王宮教会は1555〜65年、カール5世の次の皇帝フェルディナンド1世(マクシミリアンの孫、カール5世の弟)によって建てられました。
 
 
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