10)プーシキン像 血の救世主教会 2015年9月20日(土)

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 地下鉄でネフスキー大通りを西に進んだようで、これからサンクトペテルブルグの有名な観光スポットを回ります。
 まずは有名なプーシキン像の立つ芸術広場。
 この像は1957年に建てられました。
 像の後ろに、ロシア美術館が見えます。

 プーシキン(1799年6月6日~1837年2月10日)の作品リストを見てみると、以下のような名前が並んでおり、プーシキンなしではロシアのオペラは成立しなかったような気がしてきます。
 ルスラーンとリュドミーラ(1820年)、モーツァルトとサリエリ(1830年)、ボリス・ゴドゥノフ(1831年)、サルタン王の物語(1831年)、金の鶏の物語(1834年)、エヴゲーニー・オネーギン(1825~1832年)、スペードの女王(1833年)など。

 プーシキン像の前に建っているのがフィルハーモニー大ホール。
 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の本拠地で、窓には公演のチラシが貼られていました。
 ユーリー・テミルカーノフが指揮をするサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団は来日の予定があり、5月28日(土)には名古屋公演もあるようです。
 
プーシキン像(英雄広場) フィルハーモニー大ホール


 続きましては、ロシア美術館の裏に建つ「血の救世主教会」。

 皇帝ニコライ1世の死後、1855年3月2日にロシア皇帝に即位したアレクサンドル2世(ニコライ1世の第1王子)は、クリミア戦争敗戦後のロシアに農奴解放令を実施した開明的な君主でした。
 彼は芸術の後援者であり、ヨーロッパから帰国したアントン・ルビンシュタインは1862年にサンクトペテルブルク音楽院を開校します。
 また、皇后の名を冠したマリインスキー劇場、それに宮廷管弦楽団(現サンクトペテルブルク・フィル)も結成されました。

 しかし、晩年は「人民の中へ」(ヴ・ナロード)をスローガンにしていたナロードニキに命を狙われ、1881年3月13日にテロリストによって投じられた爆弾によって皇帝は暗殺されてしまいました(享年62歳)。

 彼が暗殺された場所に息子のアレクサンドル3世が建てたのが(完成1907年)「血の救世主教会」です。
 美しいロシア正教の寺院で、中にはアレクサンドル2世の展示があったようですが、ガイドさんはどんどん進んで行ってしまいました。
 
左がグリドエードフ運河 血の救世主教会
 
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