前へ ホームページへ 紀行トップへ 次へ |
ノヴォデヴィチ修道院を出て大通り沿いに歩くと、ノヴォデヴィチ修道院の墓地があります。 この墓地ができたのは1898年、モスクワの都市改造により、多くの墓がノヴォデヴィッチ墓地に移されました。 入口に売店がありましたが、平日は休みのようです。 この売店には英語のマップがあると聞いていましたので、残念でした。
近くに案内板がありますが、書かれているのはロシア語で、まったく分かりません。 あとは通訳嬢が頼りです。 墓地は緑豊かな公園のようでしたが、あまりに広大でした。
たくさんお墓の写真を撮りましたが、あまりの多さと、書かれているキリル文字が分からないことで、このロシア旅行記も5年ほど放置していました。 しかし2020年は新型コロナの流行で全日本的に演奏会も無くなり、気を取り直して再びロシア旅行記に取り組んでみたわけです。 まずはドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906年9月25日~1975年8月9日)。 この墓に書かれている音符、レ、ミ♭、ド、シ(ドイツ名でD、S(Es)、C、H)は、彼自身の名前 Domitry Schostakovichを音にしたもので、交響曲第10番の第4楽章などに使われています。 セルゲイ・プロコフィエフ(1891年9月25日~1953年3月5日。 プロコフィエフが亡くなった日は、スターリン(1878年12月18日~1953年3月5日)が亡くなった日でもあり、街は大パニックで、葬儀をうまく行うことができなかったそうです。
大きい通路に面して、アレキサンダー・スクリャービン(1872年1月6日~1915年1915年4月27日)。 現代音楽の先駆者。『法悦の詩』。 ラフマニノフの同級生。 そこから奥にニコライ・ルビンシュタイン(1835年6月2日~1881年3月23日)、セルゲイ・タネエフ(1856年11月25日~1915年6月19日)。 ルビンシュタインとタネエフはチャイコフスキーのお友達。 チャイコフスキーはルビンシュタインの死を悼み、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」 を作曲しました。 ニコライ・ルビンシュタインの兄アントン・ルビンシュタインの墓は、サンクト・ペテルブルグのチフビン墓地にありました。
ドミトリー・カバレフスキー(1904年12月30日~1987年2月14日)。『道化師』 アルフレッド・シュニトケ(1934年11月24日~1998年8月3日)
|