ウィーンミュージカル 《エリザベート》
1996年8月13日(火)7:45PM
はじめに

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 1992年9月3日にアン・デア・ウィーン劇場で初演の幕を開けた、ミヒャエル・クンツェ脚本・歌詞、シルヴェスター・リーヴァイ作曲のミュージカル《エリザベート》は、オペラファンの間で、世界的オペラ演出家ハリー・クプファー演出のミュージカルとして話題になっていました。

 クプファーは東ドイツ出身で、96年春に来日したハンブルグ国立歌劇場の《タンホイザー》やバイロイトの《ニーベルングの指環》など、多くの舞台がオペラファンの注目を集めています。

 そのクプファーがミュージカルを演出したということで話題になっていたわけです。

 95年にニフティサーブFMUSICAL『オペラ&コンサートの部屋』に、YUH さんから『《エリザベート》が宝塚で上演される』というニュースがアップされました。
 また『海外ミュージカルの部屋』で ぽし さんからウィーン・スタジオ録音のCDをお譲りいただき、僕はその音楽の素晴らしさに夢中になってしまいました。

 そして、そのCDの内容を理解し、ウィーンの舞台を観て、エリザベートゆかりの地を訪れるというのが、僕の夢になってしまったわけです。
 『エリザベート博士になりたい!』ということですね (^_^) 。

 リブレットの翻訳については、優子*さんを始めとする翻訳パティオの仲間と、冬休み返上で頑張りました。

 予習のため宝塚大劇場まで遠征もしました(恥ずかしかったです (^_^ゞ )。
 しかし、宝塚の演出家小池修一郎は宝塚の演出に当たり、この作品は宝塚ファンには難しいので分かりやすくすると言い、ストーリーを変え、歌詞を変え、宝塚に合わせて登場人物を増やしました。

 1888年11月15日の『あなたのように』の場面に、当時影も形もなかったアキレイオン荘(1891年に完成)を出し、1889年の『HASS!』の場面に、当時には存在しなかったナチスの旗を出し(ナチスが結成されたのは1919年)、やりたい放題の改竄の末、このミュージカルを(僕にとって)見るに堪えない代物にしてしまいました。

 エリザベートを刺殺したイタリア人テロリスト「LUIGI LUCHENI」を「ルキーニ」としたのも全く理解できません。
 イタリア人なんだから「ルケーニ」に決まっているではありませんか。

 宝塚という特殊な世界なら、それも許しましょう。
 しかし、小池修一郎は呆れたことに、この偽物を東宝の舞台にまで持ち込み、「これがウィーンミュージカル《エリザべート》だ」と日本のミュージカルファンに押しつけたのです。

 何という恐るべき悪行でありましょう。
 小池修一郎のために、日本のミュージカルファンは本当のウィーンミュージカル《エリザべート》を知ることが出来なくなってしまったのです。

 2007年の来日公演を見た宝塚ファンに聞きたいんですが、この作品は難しかったですか?
 それほど宝塚ファンのレベルは低いのですか?
 少なくとも、小池修一郎はそう考えた訳なんですけれどね (^_^; 。

 ウィーンにおける再演のDVD (05年10月30日、31日)が発売されています。
 この96年のレポートと05年のDVDとでは、いくつかのナンバーが異なっています。
 
 下は2007年来日公演のチラシです。
 ウィーンの舞台の雰囲気が分かっていただけるでしょうか?
 
 
 
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