ウィーンミュージカル《エリザベート》(11) ◇ HASS! オペルン・リンク & シェーネラー |
◇シーン10 ウィーンのオペルン・リンク リンク通りが完成したのは1865年。 フランツ・ヨーゼフの命令でウィーンを取り囲む古い城壁を取り壊して広い道路を作ったものだが、1880年代に多くの建物が建てられたそうだ。 『HASS!』 ![]() HASSとは『嫌悪・憎しみ』の意味。 スコアを見て驚いたんだが、伴奏はパーカッションだけで、2小節単位で同じリズムを繰り返す。 クラシック音楽の世界では、シャコンヌとかパッサカリアがこういう形式だと記憶している。 歌は、これも驚いたんだが、楽譜はドだけ。 『ド・・ドドド・・ドドド・・ドドド・・』なんてね。 歌詞はシュプレッヒゲザング・語るように発声される、大変緊迫感のある音楽だ。 抽象的な舞台で(奥に旗があったか?)、ナチスを思わせる国家主義・反ユダヤ主義の集団(確か3つのグループ)の行進が演じられる。 彼らはゲオルグ・フォン・シェーネラーの信奉者たちだ。 シェーネラーは若きヒトラーが最初に崇拝した反ユダヤ主義者。 ユダヤ人が暴行を受ける場面もある。 なぜユダヤ人が嫌われたのか? まあ長い歴史があるんだろうが、オーストリアでは1867年の憲法改正で自由主義の時代となり、ウィーンにユダヤ人が集まるようになったため、ドイツ系の人々の間ではユダヤ人に対する反感が高まってきた。 当時のウィーンはヨーロッパでも最も反ユダヤ主義の強い都市で、やがてヒトラーを生み出すことになる。 また逆に、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようと訴えるシオニストのヘルツルも、当時のウィーンから出てきた人物だ。 さて、ミュージカルに戻って、歌詞から判断するに、シェーネラーの信奉者たちは、親プロシア(ウィルヘルム皇帝)で、反ハプスブルグ。 親ドイツで、反ユダヤ・反ハンガリー・反スラブ。 エリザベートはハインリッヒ・ハイネ(ユダヤ人ね)の記念碑を彼の生地デュッセルドルフに建てようとし、彼らの反感を買った。 彼女のハンガリー贔屓も非難の的だ。 またルドルフも『ユダヤの奴隷!』と非難されている。 こういう集団によって、彼は政治的に追い詰められていったのであろうか? この音楽は大変迫力があり大変印象的な場面だが、終わっても他のナンバーのような拍手・歓声はない。 重苦しい沈黙で、胸が苦しくなる。 ウィーンの人はこの場面をどういう気持ちで見ているのだろう? オーストリア人は第二次世界大戦中ナチスの被害者だったような顔をしているが、実はユダヤ人に対する加害者だったのではないか、という議論がある。 ヒトラーやアイヒマンはオーストリア人だったし、ワルトハイム元大統領のナチス問題もあった。 そして《サウンド・オブ・ミュージック》のトラップ大佐もオーストリアのファシストだったわけだ。 チェコ人のクンツェとハンガリー人のリーヴァイのコンビだったから、このようなシーンを加えることが出来たのだろうか? |