多摩紀行(2) 三鷹市 玉川上水 (太宰治の心中) 2004年4月11日 |
太宰治(38歳)は山崎富栄(28歳)と、昭和23年(1948年)6月13日(日曜日)の夜半、玉川上水で入水心中しました。 二人の遺体が発見されたのは6日後、奇しくも太宰の39歳の誕生日である6月19日のことで、この日は桜桃忌と名付けられ、太宰の墓のある三鷹の禅林寺を多くの愛好家が訪れます。 実際に訪れた玉川上水は、桜並木の桜は散っていましたが、美しい花が咲く、狭く小さい水路でした。 太宰たちが入水した日は、数日来の大雨で増水していたそうです。
玉鹿石の置かれている場所が、二人が入水した場所で、この場所の草がなぎ倒されていたそうです。 遺体が見つかったのは、新橋から15メートルの下流だったそうです。 当時の太宰は、肺結核の進行による血痰、山崎富栄の束縛、知恵遅れの長男、太田治子の誕生、莫大な税金など、多くの問題を抱えていました。 太宰の家は平和通りにある「井心邸」の近くだったそうで、井心邸の係員に聞いてみましたが「知りません」との返事で、意外でした。 写真に見る百日紅は、太宰の旧宅にあったものだそうです。 |