多摩紀行 (3) 三鷹市 禅林寺 (太宰治の墓) 2004年4月11日 |
三鷹駅に戻りまして、8番乗り場から「朝日町」行きのバスに乗ります。 「ジブリの森美術館」行きのバス停には、長い列が出来ていました。
バスを「八幡前」で降りれば、目指す「禅林寺」は八幡社の隣。 墓所への案内掲示もしっかりしてありました。
太宰治の墓は森鴎外の墓の斜め前に建っています。 太宰は『花吹雪』という作品に「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。‥‥私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、‥‥」と書いていたそうです。 美知子夫人の「回想の太宰治・増補改訂版」(講談社文藝文庫)によれば、美知子夫人は遺骨を金木にある津島家の菩提寺である南台寺に葬りたかったそうです。 しかし長兄の文治から「郷里に帰るに及ばず、東京で葬るように」と断られ、そこで東京で浄土真宗の寺にあたって断られ、三鷹の禅林寺の住職の好意で、今の場所に埋葬されることができたそうです。 檀家総代からは激しい反対の声が上がったそうです。 一方、中畑慶吉さん(長兄文治の窓口役)は太宰の墓について、「このような不始末では代々の墓には入れられないから、どうしたら良いか正直に言ってくれ」と美知子夫人に尋ね、「娘は東京で育てたいので、墓は近くの禅林寺はどうでしょう」という答えがあったと語っています。 この墓にかかった費用も、金木の津島家から出ているのでしょうか? |