続・太宰治の『津軽』を巡る
(5)金木病院 斜陽館 雲祥寺 南台寺 2009年9月20日(日)

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 芦野公園から金木町を目指します。
 本来は北から町に入るのでしょうが、バイパスなどがあり、ぐるりと回って南から金木町に入ることになりました。

 町の南の入り口に立っている立派な病院が公立金木病院です。
 右の地図をご覧下さい。
 公立金木病院は金木町、中里町、市浦村、小泊村および稲垣、車力地区など、およそ4万人の地域医療拠点で、年600~700件の救急患者を受け入れてきました。

 しかし、金木病院は医師不足のため、2007年1月1日から救急患者の受け入れが出来なくなり、地域医療崩壊の典型例として全国の注目を集めました。
 現在は救急車の受け入れはされているようですが、医師不足の状況は改善していないようです。

 金木病院が救急患者を受け入れなければ、金木から北の急病人は五所川原の西北病院に搬送されるしかなくなります。
 20分くらい、所要時間が長くなってしまうでしょうか。
 
立派な公立金木病院 駐車場
病院の玄関 受付ロビー


 病棟からは岩木山が綺麗に見えます。
 駐車場の端には「太宰治ゆかりの地・金木第一尋常小学校跡」の板が立っていました。

病棟から見える岩木山 駐車場に「太宰治ゆかりの地」
 
 
 金木病院から斜陽館は近いです。
 シルバーウィークの連休で、入口には列が出来ています。

 斜陽館には前に来たことがあるので、今回はパス。
 「斜陽館」は小説『斜陽』とは無関係なので、この名前は不適切だと思います。
 
太宰の生家 斜陽館 入場を待つ人々


 斜陽館に近い雲祥寺は、太宰が子守のたけに連れられ、地獄極楽の御絵掛地を見たり、後生車を回わしたりする『津軽』のエピソードで有名です。
 その後生車が新しい大理石になっていたのには、ちょっと残念でした。

 太宰が『津軽』の旅をしたのは昭和19年5月12日から6月5日にかけてでしたが、昭和20年7月31日から昭和21年11月11日まで、金木の生家に一家で疎開したのでした。
 この時、雲祥寺では太宰を囲む文学愛好者の会が頻繁に開かれたそうです。

雲祥寺  
後生車 どうもイメージが違う (^_^;
本堂 地獄極楽の御絵掛地
  アップ


 週刊新潮2015年7月2日号39ページに「慰安婦少女像」を建立したい青森県「曹洞宗」住職の朝日憧憬、という記事が掲載されていました。
 「雲祥寺」の住職が、韓国に建てられる「慰安婦少女像」に百万円を寄付したという内容でした。


 津島家の菩提寺、南台寺には、太宰の父(津島源右衛門)、兄(津島文治)の墓が建っています。
 太宰が子供の頃、南台寺では日曜学校が開かれ、タケは借りてきた本を太宰に読み聞かせていたそうです。

南台寺 津島家の墓
 
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