太宰治の『津軽』を巡る(8) 金木 芦野公園&斜陽館 2006年8月14日(月) |
![]() 十三湖から中里を通って太宰治の故郷である金木に入ると、芦野公園があります。 この公園については2003年にも書いたことがありますが、桜の名所として有名で、桜の咲く津軽鉄道「芦野公園駅」には全国からカメラファンが集まります。 公園内に建つ太宰の文学碑「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」の碑文は、処女作品集『晩年』の冒頭に書かれた「ヴェルレエヌ」の詩です。 『晩年』の第二作『思い出』のエピソードは、小説『津軽』にも繰り返し取り上げられています。 芦野公園には「津軽三味線発祥の地」も建っていました。 金木出身の仁太坊やその門下によって津軽三味線の基礎が築かれたということです。
◇ 斜陽館 太宰治は明治42年(1909年)6月19日に、津島源右衛門、夕子(タネ)の第10子(6男)として生まれました。 彼の生家は斜陽館として公開されています。 斜陽館についてはよく知られているので詳しくは書きませんが、大地主であった津島家の豊かさがよく分かる豪邸です。 「金木の生家では、気疲れがする。また。私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生き行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取り上げられる」と本人も自覚しているように、家族にとって太宰はスパイのようなもので、あまり近寄りたくはなかったでしょう。
斜陽館に近い雲祥寺は、太宰が子守のたけに連れられ、地獄極楽の御絵掛地を見たり、後生車を回わしたりする『津軽』のエピソードで有名です。 太宰治「思い出広場」にも行ってみましたが、これは税金の無駄遣いでした。
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