秋田・青森 3日の旅 2004年8月14日(土)
1) 秋田大学医学部 (南木佳士の旅)

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 僕は、平成元年『ダイヤモンドダスト』で第百回芥川賞を受賞した作家であり、佐久総合病院の内科医でもある南木佳士の作品が好きで、彼の小説に出てくる土地を訪ねています。
 昨年の秋には佐久総合病院と彼が生まれた群馬県の嬬恋村に、今年の4月には彼が卒業した国立市の国立高校に行ってきました。

 今回は、彼が卒業した秋田大学医学部です。
 これで「南木佳士の旅」も、一応の完結でしょうか。

名古屋→秋田便は機体が小さい 秋田空港


  僕が南木佳士の作品で一番好きなのは「医学生」。
 「医学生」は解剖実習のグループとなった4人の医学生の青春群像ですが、もちろんこれらの人物に南木佳士自身が投影されています。

 国立高校を卒業した南木佳士は、現役での医学部受験は数学の出来が悪くて浪人。
 昭和46年に絶対安全と言われた一期校の千葉大学医学部を受験するも不合格となり、都落ちして二期校の秋田大学医学部に入学しました。
 田舎の新設医学部での生活は南木佳士にとって不本意で、挫折感と劣等感の中で彼が秋田での生活を嫌い抜いたことは「医学生」を始めとする多くの作品に繰り返し書かれています。

 さて、僻地かと思っていた秋田大学医学部付属病院は秋田駅から意外に近く、バスも多く通っています。
 「医学生」では、「入学したとき、秋田大学医学部はその姿も形もなかった。‥‥田んぼを整地するブルドーザーが一台見えたきりだった」と書かれていますが、30数年たった今では、もちろん周辺に建物が建っています。
 むしろヒビが入った病院の古さが気になりました。
 この日はお盆の金曜日でしたが、通常の外来診療が行われてました。

秋田大学医学部付属病院 看 板
正面入口 待合いロビー


 「医学生」では、吹雪の中を国道から大学に向かう道をラッセルしながら進む車谷和丸の姿が書かれています。
 南木佳士自身も、除雪車によって歩道に高く積まれた雪の上を歩いていて、雪に埋もれたバス停の標示板に躓いて転び、哀しみの感情が制御不能になり、だらしなく落涙してしまった、と書いています。
 当時は吹きさらしだった病院前の道も、今では街路樹が整備され、店舗やアパートが並んでいました。

 車谷和丸が住んでいたのは秋田市広面大字昼寝にある「昼寝アパート」。
 病院前でタクシーに乗り、「昼寝に行ってください」と言ったところ、「昼寝というところはないよ」という返事(@_@)。
 よくよく話を聞けば、昼寝というのは田んぼの名前で、区画整理で昼寝の地名は無くなってしまったんだそうです。
 現在では「赤沼入口」のあたりに当たるそうで、バス停の写真を撮っておきました。
 秋田駅から大学病院のちょうど真ん中あたりで、「医学生」では「田んぼの中にポツンと建つ昼寝アパート」と書かれているんですが、「赤沼入口」周辺にはぎっしりと建物が並んでいました。

大学病院前の道 かつての昼寝

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