2004年10月24日(日) 藤堂高虎の墓 ・ 津(三重) |
17日に藤堂高虎生誕の地、甲良町に行ったので、今日は彼の城下町であった三重県の「津」に行ってきました。 名古屋から快速でおよそ1時間。 高虎は1608年(53歳)、宇和島から伊賀・伊勢に転封されました。 二十二万石の大名になったのです。 彼は伊賀に上野城を、伊勢に安濃津城を建てました。
本丸跡は噴水のある「お城公園」になっていましたが、奥に高虎の騎馬像が見えます。 この高虎の像は、17日に見た滋賀県甲良町の高虎の像と同じに見えました。 津城の高虎像は1988年に建てられたようです。 本丸の奥に、藩祖高虎を祭神とする高山神社がありました。 新しい建物でした。
高虎は1630(寛永7)年10月5日に江戸で75歳の生涯を閉じました。 遺体は上野寛永寺山内の寒松院に葬られました。 2代藩主高次(側室松壽夫人の子)は津城下の願王寺に改葬し、高虎の諡号(しごう)をとって寒松院と改めました。 その後、津藩主、支藩久居藩主の菩提寺として栄えましたが、第二次世界大戦で焼失してしまいました。 寒松院の墓地はバイパスから丸見えの、気の毒な状態になっていました。 歴代藩主のお墓が並んでいますが、説明の看板が立っているのでわかりやすい。 高虎の墓は正面にありまして、右側が松壽夫人の墓でした。 正妻久芳夫人の墓は津市内の四天王寺にあるそうです。 ※2014年8月に「ときめき高虎会」の村田修さんに御教示いただいたところでは、高虎公の御遺体は上野にあり、第2代高次公以下藩主全員のお墓が津にあるそうです。
津駅の西側に津藩主の御山荘であった「偕楽公園」がありました。 季節のためもあるのでしょうが、ちょっと寂しい公園でした。 帰りの汽車からは、かつて高虎も眺めた鈴鹿の山が見えました。
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