2004年10月31日(日)
藤堂家墓地@上野動物園

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 《ミスサイゴン》の昼の部と夜の部の間の2時間を利用して、上野の山に藤堂高虎ゆかりの地を訪れました。

 江戸時代、上野には藤堂家の屋敷がありました。
 そもそも「上野」という名前は伊賀の「上野」から取られたという説もあります。

 寛永4年(1627)高虎は上野の屋敷内に家康を祀る東照宮を建てました。
 そして、東照宮の隣に寒松院を建て、菩提寺としました。
 高虎は1630(寛永7)年10月5日に江戸で75歳の生涯を閉じました。
 遺体は寒松院に葬られました。

 寒松院は上野駅から近くにありました。
 「旧津藩主藤堂高虎公????」と書かれた石柱が立っていましたが、このお寺にはお墓は無いようです。
 近くには徳川家霊廟がある寛永寺霊園がありました。

寒松院 手前に石柱


 寛永寺は、なんだか寂しいお寺でした。
 江戸時代初期、この地は津軽、藤堂、堀家の屋敷でした。
 寛永2年(1625)、徳川三代将軍家光は天海僧正に命じて寛永寺を建てさせました。
 寛永寺は将軍家の菩提寺として栄えましたが、慶応4年(1868)の彰義隊と官軍の戦争により一面焼け野原となってしまいました。

寛永寺 寛永寺


 寛永寺から藤堂家の墓地がある上野動物園に向かう途中に「東京芸術大学奏楽堂」がありまして、滝廉太郎の像が建っていました。

東京芸術大学奏楽堂 滝廉太郎の像


 パンダで有名な上野動物園に入るのは初めてですが、思ったより小さい動物園でした。
 名古屋の東山動物園とは比べ物になりません。
 象舎の右奥に「動物慰霊碑」がありまして、その後ろに藤堂家墓地が隠れるようにありました。
 なんだか情けなかったですね。

 高虎の遺体は上野寛永寺山内の寒松院に葬られましたが、2代藩主高次により津城下の寒松院に改葬されたとされています。
 ということは、ここにある藤堂家墓地には誰が葬られているのでしょう?
 確認したかったのですが、動物慰霊碑から中に入ることは難しそうでした。
 寛永寺五重塔が上野動物園の中にあったのも驚きでした。

※2014年8月に「ときめき高虎会」の村田修さんに御教示いただいたところでは、高虎公の御遺体は上野にあり、第2代高次公以下藩主全員のお墓が津にあるそうです。

上野動物園 パンダ
動物慰霊碑の後ろに藤堂家墓地 寛永寺五重塔


 上野動物園の隣が上野東照宮で、これも藤堂高虎ゆかりの建物です。
 参道に「東照宮略記」なる掲示板がありまして、次のように書かれていました。
 家康に「死んでからも3人一緒にいよう」と言われるなんて、ただ者ではありません。

 元和二年(1616年)、見舞いの為に駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に呼ばれ、神君より三人一処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言され、藤堂家の屋敷地である上野の山に、寛永四年(1627年)に東照宮を造営した。

 東照宮の前にある「新鶯亭」なる茶店の「鶯だんご」は美味しかったですね。

上野東照宮 鶯だんご
 
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