2005年1月1日(金) 九州三都紀行・長崎(11) : 長崎伝統芸能館・大浦天主堂・オランダ坂 |
◇ 長崎伝統芸能館 グラバー園の出口には「長崎伝統芸能館」があり、「長崎くんち」についての展示がされていました。
◇ 大浦天主堂 大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。 天主堂が建立される少し前の1862年には、ローマ法王は1597年に長崎で処刑された26人のキリシタンを「二十六聖人」として列聖しています。 この建物は国宝に指定されています。 大浦天主堂の前には昭和56年に来日したローマ法王ヨハネ・パウロ2世の胸像が建っていました。
大浦天主堂は1865年1月に献堂式が行われました。 2月になって、浦上の農民十数人が大浦天主堂を訪れ、居合わせたプチジャン神父に「サンタ・マリアのご像はどこ?」と尋ねました。 1614年(慶応18)の禁教令から 251年にわたる、きびしい迫害と殉教の期間を潜伏しつづけたキリシタンの「信徒発見」です。 信仰を表明する信徒の数は増え、彼らの勢いは増してきます。 そのため1869年(明治2年)明治新政府による「浦上4番崩れ」が引き起こされました。 浦上のキリシタン3400名が追放されたのです。
幕末から明治にかけ、大浦に外国人居留地が作られました。 長崎の人は西洋人を「オランダさん」と呼び、居留地の坂は「オランダ坂」と呼ばれました。 |