2005年1月2日(日)
九州三都紀行・長崎(12) : 坂本龍馬之像・亀山社中跡・興福寺
 
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◇ 坂本龍馬之像(風頭公園・かざがしらこうえん)

 風頭公園まではバスが1時間に5本くらい出ておりまして、思ったより簡単にいくことが出来ました。
 風頭公園からは「龍馬通り」なる道を下り、亀山社中に向かいます。

「風頭山」行き 有名な龍馬像
龍馬の眺めている方向 向かいは稲佐山


◇ 亀山社中の跡

 亀山社中は1865年(慶応元年)に龍馬が設立した日本で初のカンパニー(貿易商社)。
 メンバーは、幕府の神戸海軍操練所閉鎖に伴い龍馬と行動をともにした陸奥宗光ら20数人。
 社中は海運業を中心とした商業活動のほか、武器の売買を通じ薩長同盟など倒幕運動に参画し、明治維新に重要な役割を果たしました。
 慶応3年に龍馬は土佐藩から脱藩の罪を許され、亀山社中は海援隊と改名します。
 1867年(慶応3年)11月15日に龍馬は京都近江屋で暗殺され、1868年(明治元年)に海援隊は解散しました。

龍馬通り 亀山社中の跡


◇ 龍馬のぶーつ像

 亀山社中の少し奥に「龍馬のぶーつ像」がありました。
 龍馬は日本人で初めてブーツを履いたそうです。
 ここからは長崎市内を見渡すことができました。

龍馬のぶーつ像 亀山社中近辺


◇ 興福寺

 「龍馬通り」を下りたところ近くに興福寺がありました。
 興福寺は1620年に建てられた唐寺で、1654年には名僧隠元(62歳)が来日して、興福寺に入山しました。
 興福寺には航海安全の女神「媽姐」を祀る媽姐堂があり、龍馬も航海前にお参りしたそうです。

 興福寺の前には「上野彦馬の像」が建っていました。
 上野彦馬は龍馬の写真を撮った有名な写真家で、この像は本来の設置場所を整備中のため間借りをしているようです。

興福寺 上野彦馬の像
 
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