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◇ 江川邸 江川家は代々韮山の代官の家系ですが、中でも幕末に活躍した江川太郎左衛門英龍(坦庵は号)が有名です。 江川坦庵は享和元年(1801年)5月13日、韮山に生まれ、35歳で36代代官職を継ぎました。 坦庵は洋学に詳しく、海防の必要性を早くから唱え、沿岸測量・品川台場築造・砲術指南・大砲鋳造・種痘・パン製造など多くの功績を残しました。 ◇ パン祖・江川坦庵 坦庵は戦時の携帯食としてヨーロッパ陸軍の兵糧パンを採用しなければならないと考え、柏木忠俊に命じ、長崎のパン職人であった作太郎より製造を学ばせました。 第一回の兵糧パンの試験焼きを行ったのは天保13年(1842年)4月12日のことでした。 150年前の4月12日が日本のパンの発祥の日となるわけで、パン業界ではこの日を記念して毎月12日を「パンの日」と決め、パンの安売りセールなどが行われるそうです。 そして江川坦庵を「パン祖」と名付け、江川邸の庭に「パン祖の碑」が建てられています。 韮山では「パン祖のパン」が売られておりまして、もちろん食べてみましたが、乾パンの仲間ですね。
◇ 菜の花と富士山 江川邸の近くで「菜の花と富士山」の写真を撮りました。 地元の人の話では「この時期に富士山がこんなに綺麗に見えることは少ない」とのことで、この写真が今回の旅行の一番の収穫でしょうか。
◇ 韮山反射炉 海防の必要性を早くから唱えていた江川坦庵は、幕府の援助を得て、品川沖に台場を作り、そこに備え付ける大砲を作るために反射炉の建設を始めました。 しかし、安政2年(1855年)正月、坦庵は反射炉の竣工を見ることなく病死してしまいます。 反射炉が完成したのは坦庵の死後5年を経てのことです。 今ではこの反射炉は韮山観光のメインとなっているようで、観光バスの広い駐車場や焼き肉レストラン、そして地ビールの販売までされていました。
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