京都花見紀行・南禅寺水路閣 &山門
05年4月17日(日)

前へ  ホームページ  花見の目次  次へ


 この「南禅寺水路閣 &山門」は17日(日)に訪れました。

◇ 南禅寺水路閣

 琵琶湖疎水は蹴上で第一疎水と第二疎水が合流しまして、本流は発電に利用され、南禅寺船溜りから平安神宮へと流れます。
 一方、支流は南禅寺水路閣から「哲学の道」へと流れます。

 水路閣は、延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル。
 煉瓦造、アーチ構造の水路橋で、明治21年に造られた当時は古寺の伽藍とのミスマッチ、環境破壊ということで、かなりの反対もあったそうですが、今日ではそれが歴史的な風土に溶け込んだ観光名所となっています。

第一疎水第3トンネル西口 支流を行くと
柵のために行き止まりとなっている 下に降りると、そこが南禅寺水路閣


◇ 南禅寺三門(藤堂高虎)

  現在の三門は、藤堂高虎が大阪の陣で戦死した家臣の菩提を弔うため、寛永5年(1628年)に寄進したもので、「高虎めぐり」には欠かせません。
 ちなみに、高虎が死亡したのは寛永7年(1630年)、75歳です。
 楼閣上には家康、高虎、今地院崇伝の像と藤堂家家臣の位牌が祀られています。
 今地院は南禅寺の塔頭で、以心崇伝は家康のブレーンとして「黒衣の宰相」と呼ばれました。

 歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」では、大盗賊の石川五右衛門が楼上からの眺めを「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門の目からは万両」と言っています。
 五右衛門は文禄3年(1594)に処刑されており、三門が再建されたのは五右衛門の死後、34年経ってからのことです。

南禅寺三門 南禅寺三門
京都市街を眺める 東山方面を眺める

前へ  ホームページ  花見の目次  次へ