斎藤茂吉紀行(4) 新宿区大京町 2006年2月12日(日) |
JR信濃町駅を降りると、目の前に慶応大学病院が建っています。 その横を通り北へ向かうと、野口英世記念館があります。
なおも北へ向かい、四谷4丁目交差点のあたりに茂吉が住んだ家があったはずです。 一軒ずつ探していると「PJビルディング」というビルの入口に、プレートを見つけることが出来ました。 『新宿の大京町といふとほりわが足よわり住みつかむとす』 このビルがかつての「斉藤神経科クリニック」の跡なのです。 今でも齋藤家の持ちビルのようですが、「テナント募集」はちょっと苦しそう。 このあたりは高いビルが建ち並んでいますが、一軒だけ昔ながらの二階建てがありました。 「斉藤神経科クリニック」も二階建て、十五床の収容の収容能力があったそうです。
昭和25年11月14日、左半身麻痺状態の茂吉(69歳)は、寝台車に乗って大京町の家へ転居しました。 茂吉は近くの新宿御苑を、お供を連れて散歩したそうです。 昭和26年、茂吉は文化勲章を受章しました。 昭和28年2月25日、茂吉は心臓ぜんそくで死亡しました。 享年70歳でした。 遺体は遺族の希望により、東大病理学教室で解剖されました。 28日に幡ヶ谷火葬場にて火葬され、3月2日に築地本願寺で告別式が行われました。 遺骨は分骨され、一つは青山墓地に、一つは金瓶の宝泉寺に埋葬されました。 「斉藤神経科クリニック」は、茂太の妻美知子の実家である府中市の宇田病院に移転し、「医療法人赤光会斉藤病院」(205床)となっています。 |