太宰治の『津軽』を巡る(2) 平舘(たいらだて)・灯台と台場 2006年8月13日(日) |
![]() 太宰は蟹田からバスで今別に向かいました。 最初の町は平舘(たいらだて)です。 太宰の小説では平舘について、「山椒太夫」の昔噺で通り過ぎていますが、この町はなかなかに見所の多い魅力的な町でした。 このあたりは下北半島との距離が最も近いところで、海峡の向こうに下北半島が見えています。 海水浴やバーベキューの家族連れが、あちこちに見られました。 海岸に建っている灯台は平舘灯台。 「平舘海峡にかかる夢の大橋を実現させよう」という、「津軽下北半島大橋」なる壮大な夢の看板も立っていました。 ここで食べた生ウニ丼は大変に美味しかった。
平舘灯台の近くに台場跡が残っていました。 さすがに下北半島との距離が最も近い場所だけのことはあります。 この台場は、嘉永元年(1848年)異国船の出没に対し、弘前藩が沿岸防備のために築いた西洋式砲台の台場です。 海側の土塁に松を植え、砲台が海から見えないように工夫するなど、幕末の台場がそのまま残っている例は全国的にも珍しいものです。 嘉永5年(1852年)3月7日、吉田松陰は国防視察のためにこの台場を訪れ、「東北遊日記」に周囲の様子を記載しています。
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