大学病院めぐり・福井&富山 (4)富山城と佐々成政 2007年2月25日(日) |
25日(日)は快晴でした。 駅前の歩道に掛けられていた雪かき用のスコップが、なんだか手持ちぶさたそうで‥‥ (^_^ゞ。
本日の観光は富山城から。 天正10年(1582年)織田信長の命を受けた佐々成政が富山城主となりました。 本能寺の変の後、豊臣秀吉と争った佐々成政は、天正13年(1585年)8月、秀吉自ら率いる大軍に富山城を攻囲され、頭を丸めて降伏しました。 やがて越中一国が前田家に与えられ、寛永16年(1639年)、加賀藩三代藩主前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が成立しました。 利次は廃城となっていた富山城を修復し、以後富山前田氏13代の居城として明治維新を迎えました。
天守閣は数年間の改修工事を経て、新しい郷土博物館となっていました。 びっくりしたことに天守閣前には佐々成政の句碑「何事もかわりはてたる世の中に知らでや雪の白くふるらん」が建てられていました。 佐々成政の復権です。 これには『利家とまつ』で成政を演じた山口祐一郎さんの影響が大きいでしょう。 僕はミュージカル俳優 山口祐一郎のファンです (^_^) 。
敷地内には前田正甫(まさとし)公像が建てられていました。 前田 正甫は越中富山藩の第2代藩主。 製薬業に興味を持ち、反魂丹を製薬して諸国に広め、「越中富山の薬売りの祖」とも言うべき人です。 時は元禄3年の江戸城、、岩代三春の殿様が突然、激しい腹痛に襲われました。 そこに居あわせた前田正甫公は「反魂丹」を印籠から取りだして飲ませ、その痛みはたちどころに治ったということです。。 この事件により、富山の薬はよく効くと評判になりました。
富山城の周りを探索していたら、座敷童のような銅像がありました。 近寄ってみると、これが滝廉太郎像。 蓮太郎は父吉弘が富山県書記官に赴任したことから、明治10年8月から一年8ケ月余りにわたり富山に滞在し、富山県尋常師範学校付属小学校に、1年生から3年生まで在学したそうです。 そして、富山城は「荒城の月」の題材になった城のうちの一つと言われているそうです。 知らなかったな (^_^; 。
|