南木佳士の故郷 嬬恋村三原を回る (3)南木佳士の家 と 東小、東中 2007年9月12日(水) |
鬼押出し園から30分ほどで三原の街に到着しました。 高台から見下ろす三原の街と吾妻川は、自然にあふれた美しい山村風景でした。
こちらの写真は三原の街を通り過ぎ、東の高台から見た三原の街です。 南木佳士は浅間山を見ながら、子供時代を過ごしたのだという事がよく分かりました。 浅間山が見えていて、本当に良かったです (^_^) 。
三原の街に降りて、さっそく嬬恋会館に行ってみました。 ここでの南木佳士コーナーで詳しい情報が得られるはずなんです。 確かに平日で開館していましたが、受付には誰もいませんでした。 受付どころかこの会館には人がおらず、勝手に中に入れまして (@o@)、2階に図書室があったのですが、南木佳士コーナーは見つけらませんでした。 ここで情報収集をしようと予定していた僕は、これからどうしたら良いのか困ってしまいました。
しかし、南木さんの本には何度も繰り返し三原の街、そして自分の家の事が書かれています。 三原は小さな街ですので、それらの情報を組み合わせれば南木さんの家を見つける事はそれほど難しい事ではありませんでした。 作品を読んで、南木さんの家は山の中にあるような印象を持っていたのですが、実際の家は街の中にあり意外でした。 現場に行かないと分からない事は多いものです。 プライバシーの問題もあって詳しい場所は書きませんが、南木さん御本人が何度も繰り返し作品に書いておられるからには、自ら作家としてプライバシーを放棄したという考え方も出来るでしょう。 ここでは、病気の父親を搬送するために作った2階のドアと小さい橋の写真を載せておきます。 もう一つ、南木さんの家から見下ろした街の写真を載せておきます。 草軽電鉄が南木さんの家のすぐ下を走っていたことも、何度も繰り返し書かれています。
南木さんの家の前に立って、この家で彼の作品で何度も繰り返される祖母や父親の物語が実際にあったのかと考えると、新たな感慨が湧いてきます。 今まで三原の話は僕にとって空想の世界でしたが、これからは生々しい現実の話となります。 小さい橋を渡った2階の部屋で、彼の父親は死亡しているのですから。 これから南木さんの作品を読み返せば、新たに見えてくることも多いでしょう。 次は南木さんが通った嬬恋東小学校と嬬恋東中学校。 小学校は町はずれの山の中、中学校は街の中にありました。 中学校2年生に父親の転勤について東京の保谷中学校に転校してからの話は彼の作品で何度も繰り返されていますが、三原での小中学校の生活はほとんど語られていません。 小学校の給食費を現金で払えず、葱や白菜の束を提げて学校に行った事が『家族』に書かれているくらいでしょうか。
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