島原の乱&阿蘇紀行 (4) 雲仙温泉・地獄巡り 2008年5月3日(土) |
仁田峠から雲仙温泉に戻り、地獄巡りです。 雲仙温泉は街中が硫黄のにおいで溢れ、硫化水素自殺が相次ぐご時世から、生命の危機を感じるほどです (^_^; 。 雲仙温泉は1954年(昭和29年)、ラジオドラマ「君の名は」の映画化(岸恵子、佐田啓二)でロケ地となり、「君の名は」記念碑と真智子岩が残されています。 記念碑には「忘却とは忘れ去ることなり‥‥」という有名なナレーションが刻まれています。
島原藩主松倉重政は元和7年(1321年)、徳川幕府からの命令でキリシタンの弾圧を開始します。 寛永4年(1627年)には雲仙地獄での熱湯をつかったキリシタンの拷問・処刑を開始しました。 寛永7年(1630年)に重政が急逝すると、藩主となった息子の松倉勝家は、父を凌ぐ過酷なキリシタン弾圧を行いました。 キリシタン信徒の雲仙送りは「山入り」と呼ばれ、「地獄責め」といわれる硫黄が煮えたぎる温泉の熱湯をかけられ、多くのキリシタンが殉教していったそうです。 これらのキリシタン弾圧が、寛永14年(1637年)10月に起きた島原の乱の引き金の一つになります。 本日の宿泊は雲仙温泉の中心にある「雲仙スカイホテル」。 窓からは雲仙地獄が見えました。
このホテルで僕はショッキングな話を聞きました。 明日乗る予定だった南島原鉄道が、3月いっぱいで廃線となっていたのです。 予定していた計画が根元から吹っ飛んでしまい、困ってしまいました。 |